『母の笑顔 ~幸せを象るもの~』 (2007年05月12日深夜)
一年ほど前、母が倒れた。
くも膜下出血だった。
遡ること20年前、祖母が同じ病で倒れた。
2週間ほど寝込んだ後、そのまま意識を戻さぬまま、祖母は帰らぬ人となった。
母が倒れたとき、まず思い出したのはそのことだ。すぐに手術も出来ぬほど重態だと聞いて、思わず母の死を確信した。
瞬間、脳裏を過ぎったのは現実的な未来だった。姉は結婚しており、私には伴侶がいない。父と母、ふたりの老人の死に水を取るのは私の役目だと思っていた。もしもどちらかが寝たきりになったら、もしもどちらかが痴呆になったら、もしもそれが両方同時に起こったら。肉体的にも金銭的にも私にできるのだろうか。絶えず、不安はあったのだ。
しかし、母があっさりと死を迎えようとしていた。
これは母が私に与えてくれた幸運ではないか。
ふとそう思ったとき、父がつぶやいた。
「母さんはぽっくり死にたい、寝たきりになって誰かに迷惑かけたくないと言っていたから。もう目を覚まさないかもしれないな・・」
私は明らかに動転していた。
そんなとき、人はもっとも残虐になる。
その現実的な判断が、冷静な思考から生まれたものではないことを忘れていた。
母の病、その死へのカウントダウンが日常的なものになってきたとき、私は初めて未来を描き始めた。
老後の母の面倒を見ることが出来ないかもしれないこと、そうしてもう二度と母は目を覚まさず、そうなったらもう二度と母の笑顔を見ることが出来ないこと。
そのことがつらかった。
私は毎晩願った。
「神様、もう一度、母の笑顔を私にお与えください」
それは感傷かもしれない。夢かもしれない。
現実的ではないかもしれなく、現実的に見たら、今ここで母の死を受け入れていたほうが遥かに幸運と呼べるのかもしれない。
ただの快楽かもしれない。欲望かもしれない。
しかし、私はそれを望んだ。
もう一度母の笑顔を見たかった。
私の強い想いは天に通じた。
心優しき神は、私の願いを受け入れてくれた。
1ヶ月と半を過ぎたときに、母は目を覚ました。
そうして、朦朧とした意識で、歪んだ顔をふと向けて、私に幽かに笑いかけたのだった。
奇跡だった。
死ぬと断言さえした医者はばつが悪そうだ。禍事を避けていた親戚は慌てて戻ってくる。私と姉は泣いた。義兄も姪たちと一緒に。母の笑顔は太陽のように眩かった。
幸せを象るものは、いつでもそんなところからやってくる。
現実的な思考とは程遠い、いつでもその狭間から。
☆☆☆☆☆☆
あのころを思い返すと、私たち家族が宇宙の真ん中でぽつりと孤立させられたような、そんな感じだ。
すべてのそれまでの人々との付き合い、関係性、華やかな事件は、母が繋ぎ合わせていたものだった。
いい年をした私はといえば、丁度その時分、それまでの自己の世界を放棄し、または見捨てられていた。
家族は漂っていた。寒く、暗い地に置き去りにされて。不安だけを道連れにしていた。
もし、母が目を覚まさず、その事実を乗り越えていたら、今頃どうなっていただろう。
乗り越えられると言う仮定だが、つらい経験は時とともに癒え、これで良かった、と思えていたかもしれない。
しかし、私は不安と言うものがそう嫌いではない、と言うことに最近気がついた。
不安、その不確かなもの、安定しないもの、気がかりなもの、それらには無限の可能性がある。
変な言い分だが、はっきりしていない分、どの要素にもどちらの方向にも転ぶように思われてくる。
この母の事件は、それを証明してくれた。不安はどちらにでも転ぶものであること、それと同時に新たな不安の芽を私に与えたわけだが、それでも私は可能性を失わずに済んだのだった。
私は自主的に自らを不安に晒す。
私の人生がいつまでも限定されないのは、常に可能性に満ちているのは、今まで無意識にそうしていたからかもしれない。
あと何十年、何年、母の笑顔を見ることが出来るだろうか。
それを見たいという私の欲望を満たすためなばら、私は悪い可能性のツケをも取ろう。
腹を括る。もしそれが訪れても、決して悔いず。