老いてなお ~桜の花と老木と~

 
 
 桜が咲くのは一年に一度のほんの数日限りです。
 貴重なそのひと時を少しでも大切にしたくて、私は時間の合間を縫って出かけます。
 遠くまでいく時間はありません。家の傍の桜を目に焼き付けます。私の記憶の中に残していきます。
 
 ところで、うちの近所は桜のメッカなのです。
 もちろん名所のような見事な景観はありませんが、ちょっとした道端、駅前、公園、どこかしらにちょこちょこと佇んでいます。小学生の時、この町に引っ越してきた私は驚いたものです。遠くへお花見にいく必要もないなぁと、あちらこちらの桜と桜並木を眺めました。もちろん遠くのもっと美しい桜なんて知らなかった頃でした。必死で、新しく私の居場所になった街に咲く桜を見上げる私は、ずいぶんと歳をとり、世の常を覚えて、世慣れて擦れたおばさんになりましたが、桜を見るとあのはじめて近所にたくさんの桜を目の当たりにして、口をあけてただ眺めていた頃を思い出します。そうして、少しだけ、純真な少女のような、真新しい気持ちを取り戻すのでした。
 桜は、心を洗うのです。
 メッカだけあって、「○○さん(地元の有力者)の家の庭のソメイヨシノ」とか、○○(地元の○丁目の通称)の枝垂桜とか、田舎なりに名所はあるのですが、もちろんそこまで足を伸ばす余裕もなく、本当に近所の近所の桜だけを見に出かけます。
 
 そしてふと気が付いたのは、やけに老木が多いな、ってことで、馬で言えばもう引退してレースに出ることも適わなくなった老馬なわけで、そのまったく見事ではないしょぼくれた老木から、なんと新芽(新緑)があちこちから出てきては、花まで咲かせているということでした。
 そうしてその傾向は、比較的若い桜の木には当てはまらなくて、(彼らはつるつるの木肌なのです)限って、老木だけにある現象だと言うことでした。
 前から当たり前のことだったでしょうか。桜とはそういうものだったのか、私は写真を撮るようになってから花を眺めるだけではなくて、いろいろなところに気がつくようになったようで、それは少し遅いのかもしれませんが、今まで気が付かなかった新しい発見でした。
 
 
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 老木の桜。焦げ付いたような黒い幹から細い枝と新芽と蕾が生えてきています。しかも、その数の多いこと、はじめて見ました。
 
 雨の中撮影したためちょっと見づらいのですが、写真は古い幹から新しい芽が出てきている姿です。幹から直接蕾を咲かせているものまでありました。
 この老木の生命力と言うべきものか、老いてなおの力強さにしばし心を奪われて、私は桜の木を見入るのでした。
 私は年を重ね、桜の花を見てふと純真さを懐かしむような齢にもなりましたが、美しい花だけしか目に入らなかった若き頃とはやはり変わってきているようなのです。
 以前から桜の木の造形を美しいと思っていました。だけど、上手く言えませんが、それだけではないのですね。生命と言うものは。
 隣にいた母が呟きました。
「えらいねぇ・・ こうやって古い枝を切り取られても、新しい芽を生んでいくんだね」
 私もこれから幾つのも年を重ねても、たとえ純真さをまったくすべて失うことがあろうとも、この大好きな桜のように生きて行きたいなぁなんて、前にも増して思うのでした。
 
 
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 家の傍の桜は散り始めていました。綺麗な葉桜となってきています。
 大好きな季節が、過ぎ去ろうとしています。
 今年も―
 
 
 
 
 
 
 
 

近藤勇の墓参り&蕎麦食い倒れツアー敢行!

 
 
 待ちに待った桜の季節です!!!
 日曜日に用事のある私は、今日一日しか桜を撮りお出かけできる時がありませんでした。
 (きっと来週末は散ってしまってますから)
 どこへ行こうかなぁ、と夢想を巡らせます。桜の名所として有名な場所をあれこれとあげては候補に入れていきます。
 文京区の六義園か、台東区の上野恩賜庭園にしようと決めかけた頃、何を思ったか母にこう訊いていました。
「土曜日に桜の写真を撮りに行くけど、一緒に行く?」
 両親との思い出を作っておきたいと思ったのか、一人だけで美しい桜を楽しむことに気が引けたのか、ふと一緒に行こうかと思ったのです。
 桜の写真を撮るのをずっと楽しみにしていたので、一年で唯一の一日、そんな時に最近めっきり老いてきた両親と一緒に出かけたのでは、思う存分撮れるものも撮れない、ましてや私は集団行動が苦手です。現実的には理解していたのですが、まぁ何とかなるだろうと言う楽天的な気持ちでした。 
 私は先週、確か、上野あたりに行ってみようか、と東京都心に行くことを伝えていたはずです。
 しかし、木曜になって訊いてみると、父はしっかり行く場所を決めていました。もちろん上野ではありません。
「近藤勇の墓があるんだよ」
 父は近藤勇の墓が日本人なら一生に一度は絶対に見ておくべきであるかのような、いやもちろんそうなのでしょうけど、クリスマスに桜餅を食べるのが常識だと言うかのような趣きで言うのでした。私は年に一度のクリスマスケーキを無性に食べたい気分で、ましてや新撰組には何の思い入れもないのですが、後になっていい思い出になるかもしれない、なんてふと思ったりもするのでした。
「父が近藤勇の墓を見たがって、行ったんだよね。あれは生前最後のわがままだったね・・」
 (縁起でもない想像ですが)通夜の日にぼんやりと呟いて、あり日の父と母が近藤勇の墓の前ではしゃぐ姿が思い出されます。
「じゃぁ、行ってみようか!」
 私はデキた大人の気分になって話に乗りました。両親と桜の名所とは無縁の調布市へお出かけです。
 それでも父が提案したのは、私が聞いたこともないお寺で、深大寺と言うところなのです。どうしてそんなところに近藤勇の墓があるのか、まぁ寺だからあったのでしょうが、良く分からないまま、父にお任せしました。深大寺は天平五年に開創したと伝えられ、関東では浅草寺に続いての古いお寺になるそうです。調布の深大寺と言えば、深大寺蕎麦が有名らしいのです。深大寺の周りは蕎麦ストリート状態で、蕎麦屋が連なって立ち並んでいるのでした。 
「美味しいお蕎麦を食べよう!」
 こうして年に一度の貴重な桜撮影日は近藤勇の墓参りと蕎麦食い倒れツアーになりました。
 
 着いてすぐに目に入ったのは、満開の桜ではなく、蕎麦屋の行列です。
 どうも私の頭のなかは、知らず知らずに桜から蕎麦にシフトされていたのかもしれません。美味しそうな蕎麦屋さんと蕎麦団子に目が惹かれます。
 
 
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 天ざるととろろ蕎麦を食べさせていただきました。二時間ほどの間を置いて別の蕎麦屋に入り、二回食べたのでした。いつもはいわゆる二八蕎麦と言われるそば粉八、うどん粉二の割合で作った普通の蕎麦を食べているのですが、蕎麦の本場と言うことで十割そば粉の蕎麦を食べました。デザートはもちろん蕎麦まんじゅう(桜バージョン)です。お腹がいっぱいになりました。
 ところで、近藤勇の墓なのですが。
 
 
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 調布市観光協会が配布している「深大寺蕎麦マップ」、これに境内の見どころが載っているのですが、親子三人で何度目を凝らして探しても近藤勇の墓は見当たりません。
 新撰組に詳しい方、いや、詳しくない方も当たり前に知っている事実かもしれませんが、彼の墓があるのは調布市とも、深大寺とも、何の関係もない三鷹でした。ただあちこちにある彼の像が調布にもあるだけで、しかもそのひとつと言うのもまた深大寺周辺に存在するのではないのでした。
 帰り道、調布駅前の交番で、おまわりさんからそれを教えてもらった父はちょっと残念そう。こんなことならウェブでそこ(近藤勇情報)も調べておいてあげれば良かったなと私は後悔。母はテレビ番組で見たのと景観が違う、と始終むっつり。(テレビって良く見えるんですよね)
 案の定、桜は名所に比べると見劣りがするし、私は気が散って思うように撮れないし、三者三様イマイチしょぼい感はいなめないのですが、それでも蕎麦は美味しかったし、両親と三人で出かけたのは久しぶりのことなので、くたくたに疲れたけどどこか達成感を味わえたりもしたのでした。
 電車の中で別れる時、母は私のジャケットをぎゅっと掴んで、顔を上げます。
「今日はありがとうね」
 照れくさそうに笑うのでした。
 ところで、深大寺は縁結びで有名らしいのです。その別れ間際に父が呟いたのでした。
「でもお蕎麦美味しかったし、良かったよね!」
「あそこは縁結びで有名なんだよな」
 ふと胸に引っかかりました。確か境内でめいっ子にお守りの土産を買っているときも、同じ言葉を呟いたのです。「ここは縁結びで有名なんだよな・・」
 私はその時、縁結びのお守りを横目で見て、ただそれだけでした。興味を示したふりをするのもいい年をして恥ずかしかったし、そんなことを気にしてもいないと言うポーズを取りたかったのかも知れません。そう、欲しかったけど、格好つけて買いませんでした。
 ひとりの帰り道、こんなふうに思うのでした。
「縁結びのお守り、買ってあげればよかったな」
 私自身にです。きっと、いえもしかして、それが一番の親孝行だったかもしれない。
 父は近藤勇の墓などどうでも良かったのかもしれない。
 もしかしたら。それは二の次であって、縁結びで有名なお寺だったから私を連れて行きたかったのかもしれないな、なんてふと思うのでした。
 
 
 
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心に桜。

 
 
 私の誕生日は4月の頭だ。
 桜の咲く時期なのである。
 で、毎年、まるで花占いみたいに桜の開花状況を見守るのだった。
 誕生日まで花が咲いていたら、その年はラッキー。
 花吹雪の時は、まぁまぁ、でも見れたからまぁいっか。
 既に枯れていたらがっくし。
 私は桜の花が花の中で一番好きで、桜の樹の造形の素晴らしさに心底惚れ込んでいるので、年に一度の自分の生まれた記念すべき日に、大好きな桜が美しい花を纏っているかどうかが重大事項となるのである。
 どうせなら気持ちよく迎えたい。
 夜桜なんぞを一人眺めながら、のんびりと迎えたいと願うのだった。
 しかし、哀しいかな、たいていの年はちぃっとばかり遅い。私の誕生日は桜が満開になる時期よりほんの少しだけ時期が遅いのだ。だからたいてい桜は散ってしまう。花吹雪を僅かに残して、ほとんど新緑の芽が出てきたという状態で迎える羽目になるのだった。
 今まで生きて来て、覚えている限りで二回だけだと思う。その年は寒かったのか、桜の開花が遅かった。
 私の誕生日に満開だったのは、美しい桜が絢爛に咲き乱れていたのは、あとにも先にもその記憶のなかの二回だけである。
 
 ところがだ。
 最近、ここ数年のことなのだが、私は毎年自分の誕生日に満開の桜を見ることが出来るようになった。
 しかも、各地の、ありとあらゆる趣きの桜を思う存分堪能することが出来るのだった。
 読者の皆さま、何で? と思いますか? それとももちろん「アレ」ってわかりますかね。
 
 
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 そうです。
 「写真」です。
 桜はなんと言っても国花であり、国民すべてに愛される花なのです。花といえば桜、春といえば桜、と言うわけで、春の陽射がぽかぽかしてくると、むくむくと蕾が膨らみ開花予報が発表されると、日本中のカメラを趣味とする愛好家の方々が、冬眠から目覚めた方にむずむずと活動を始めては、彼ら特有のセンスと技術と目覚しい活躍によって、素晴らしい一枚をここかしこで披露してくださるのです。
 さらには最近のフォトブームによって老若男女に幅広く浸透した写真は、ウェブ上にその姿を現して、そうして桜は私の誕生日に豪華絢爛に、かつ妖しく、咲き誇るのでした。
 もうお腹いっぱい!
 と言うぐらいに、ここ数年は誕生日に満開の桜を味わっています。
 つまりここ数年、毎年ラッキーな年なわけです。
 幸せだなぁ~
 と加山雄三のように呟いて、(知ってる方いますか?)私は口元をほころばせるのでした。
 
 写真をこよなく愛する全国の皆さま、どうもありがとう。
 私の誕生日はおそらく今年も、皆様方のおかげで、晴れ晴れしい一日となりそうです。
 美しい桜が、あなたと共にありますように。
 
 
 
 

独創力って何だろう? ~爆笑問題×京大 独創力!を見て~ 

 
 
 爆笑問題のニッポンの教養スペシャルを見る。京都大学の学生、教授陣と爆笑問題がトークバトルをするというもの。テーマは独創力。
 
 目から鱗が落ちる思いだった。
 常々思っていたのは、独創性のありすぎるものは社会の異端児となる。または、すべてが出尽くした飽和状態のこの時代、そんな中で新たなものを生み出すのは至難の技だと言うこと、すべては二番煎じ、三番煎じじゃないか、と言うことだ。
 しかし、独創性の定義自体を間違えていたようだ。
 トークバトルと言う形式の番組を通じて、独創性とはこういうものじゃないか、と言うメッセージを頂いたように思う。
(たぶん太田さんがこれを読んだら、そんなこと言ってねぇよ、と怒られそうな気もするが、自分が感動したこと、それを表現し続けることこそが独創性となりうるとおっしゃっていたので、多分許していただけると思う)
 
 独創力とは天才のごとく新たなものを生み出す力だけではないようだった。
 既成のものから、自分が発見したものを自分なりに表現すること、その一連の努力の総称のようなのだ。
 良く私は「難しいことを簡単に言うのが天才で、簡単なことを難しく言うのが凡人」と怒られるのだが、まさにそのことだった。
 で、凡人の私が難しく言ってみると、独創性の定義は、たとえば知識や人の道でもいい、それらの他や既存の型を学び、身につけて、壊せるようになり、そして型にも型を壊すことにも疑問を抱きながら、最終的に突き詰めた自分を殺した個(性)とは無縁の自己の型をまとって、なお、自分であり続けること。そしてそれを、自己として表現できること。
 それこそが独創性だというのだった。チャレンジしてもっと簡単に言えば、マジョリティの型を極めて、なおマイノリティであり続けること。マイノリティでありながら、マジョリティの型をもって表現することが出来ること。そういうことを独創力だと言っているのだ。
 トークのなかでは太田さんが、京都大学教授の哲学者西田幾太郎さんの「対矛盾的自己同一論」を例として揚げる。
 「Aは非Aであり、それによってまさにAである」
 矛盾するが自分を殺して到達するものこそが自分であり、そして太田さんはその「なおかつ自分である姿」を表現することが独創なのだと言い切るのだった。
 
 この定義を突き詰めていくと、冒頭の、私が感じていたような独創性のある人は異端児だと言う仮定(一般的な定説)は成立しなくなる。もちろん異端児には他の型を身につけることもそのために個性を消すこともできないだろう。
 また、同じく、無から有は生まれず、かつ既にあるものから新しいものを生み出すことは創造に値しないから完全な独創性は存在し得ない、と言う仮説も成立しない。
 人は生き続ける限り、既にあるものから吸収して自分の独創力を磨くことが出来るし、人は感じる心がある限り、自分の唯一無二の体験を通して独創力を発揮することが出来るのだ。
 私は間違っていた。
 
 太田さんは言い放つ。
 『あなたはあなたであることが既に独創力なのだ。あなたは、どこまでいってもあなたから離れることは出来ない』
 耳が痛かった。
 
 
 
 
    

愛する人とkissよりしたい今一番のこと。

 
 
 喧嘩上手な人というのはいるものだ。
 決してドラマの影響ではないと思うけど、今喧嘩がしたい。
 気まぐれに感情をぶつけ合うだけでも、絶縁を目的としたものでもなくて、愛情表現としての喧嘩がしたい。
 生身の人間としたい。
 
 
 

今そこにあるものが発するものを写すと言うこと。

 
 
 今日は恒例の週末プチ写真旅行へ。
 写真を撮るようになってから、いろいろな情報が入ってくるようになりました。
 いろいろな写真家さんたちが、様々なポリシーを持っていたり、また写真の世界は奥が深くて、私が知らないたくさんの要素があったからです。それらをスポンジのように吸収して、そうして自分のフィルターを通して写真を撮る、と言う段階になったときに、今まで感覚で撮っていた私はかなり戸惑ってしまいました。
 たくさんの情報のうちどれが自分のフィルターになるのか、よくわかっていなかったのです。
 好きなものは、モノクロ、郷愁を感じさせるような景色、人々が行き交う街、昭和の時代のようなモノクロの街の風景。漠然とはあっても、まだ始めたばかりなので確立されるはずもありません。いろいろなものを吸収する時期と割り切って、いろいろと試していたら、だんだん何が撮りたいのかよくわからなくなって来るし、またあれもこれもやりたい、と欲が出てきてしまうのでした。
 
 今日はよくわかないままカメラを抱えて、近所の自然公園へ。
 個性自体がわからなくなっているので、個を排除した無難な写真を撮りに出かけました。自然の風景をカラーで何枚か、撮ってみます。
 
 
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 どうもピンと来ません。
 そのうち、景色が変わったのです。ぽっかりと山に迷い込んだような淋しい道になり、細い木々が枝を伸ばした林道が上へ上へと続きます。誘い込まれるように坂道を歩いていくと、たどり着いた丘の上はもうあたり一面木々だけ。人々も、自然の中の村の風景も、すべて消えていたのした。
 
 私は林道へ入った時からモノクロにシフトしていました。
 細い木々の枝が血管のように絡まって延び、それらを見たときふと、モノクロで撮りたい、と思ったのでした。
 好きなモノクロでは色の美しさが撮れません。素人のくせに撮るものを限定してしまうのは良くないでしょう。なので最近はカラーに力を入れていたのですが、俄然カメラの設定を切り替えます。人々の真似をして(望遠)マクロの練習をしていましたが、そのフィルターも取り外します。
 樹々が私に語りかけてくるような、そんな何かを感じたらしいのです。
 
 樹霊と言う言葉を知ったのは雑誌の中です。
 だけど本当にあるのかもしれないと思いました。
 
 
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 私は出来るだけ丁寧にとるよう心がけました。
 美しい景色を、今そこにある景色を、私のフィルターを通して私の中に映る景色と同等かまたはそれ以上に撮る。現す。現実の景色を、私なりの景色(あるいは美)として表現する。それが今までの自己表現としての私の「写真」の考えです。
 でもそうじゃなかったような思いがしました。
 樹々のエネルギーをふと感じた時に、そこにあるその気を写し撮ってあげたいと思ったのでした。
 私はそういった何か被写体の気(想い)を伝えるためのただの媒体であり、正確に伝え取ってあげなくてはいけないように感じました。念写っていうのかな。その言葉通り自分の想いを写すのではなくて、相手の想いを写し出す鏡と言うか。ただリアルを自我を交えず正確に写し撮るだけではなくて、そこにある気とか念とか、そういう想いをも感じて、ちゃんと写し撮ってあげなくてはいけないような気持がしたのでした。
 そんなこと難しくて、今は出来ません。したくても、まずテクニックが追いつきません。でも、出来る限り、今出来る限りのことはしてあげなくてはいけないように思われて、私は一生懸命、樹々を写し撮っていました。
 
 出来上がった写真を家に帰って見てみると、案の定今までより良くないのです。
 上手く見える手段や、今まで知った少しのテクニックを手放して、見栄えよりも樹の念を伝えること、なんてそんなことを念頭においた私の写真は、どこかまぬけなのでした。
 でもこれが今の実力なのだと悟りました。
 とても恥ずかしい思いがしました。
 この地に宿るすべての神々、すべての命、それらが発するものを少しでもきちんと撮れたらいいな。
 伝え撮れてあげられたらいいな。
 そう思いました。
 
 
 
 
 

「新説・蜘蛛の糸」

 
 
 ふたりで掴まっていると糸が切れる。
 カンダタを天へとたどり着かせるため、男は手を離して、地獄へと戻った。
 血の海を漂う。
 もう地獄の責め苦にも疲れ果てた。
 きらりと銀色が輝き、するするとカンダタが降りてきた。
 男と目が合う。
「おい、お前、これは俺様の蜘蛛の糸だぞ」
「わかってる、だから離した。ひとりで天へ行け。それとも釈迦に見捨てられたか」
「いや」
 カンダタは照れくさそうに笑って、手を差し出した。
 男は驚き、悟った。
 カンダタが一緒に天へ行こうと言ってくれているのだと。
 さすがに小さな蜘蛛を助けただけのことはある。彼には慈悲の心があるのだった。男は涙した。
「カンダタ!!」
 男泣きに泣きながら蜘蛛の糸にまたすがった。「ありがとう!一緒に登ろう!死ぬ時は一緒だぞ!」
 ところがカンダタはすがりつく男の頭を小突くのだった。
「イテッ!」
 男はまた血の海にぽしゃりと落ちて顔を沈める。喘いで糸にすがるとカンダタがまた小突く。苦しい。溺れそうだ。
 あぷあぷともがく男を見下ろして、カンダタは憎憎しげにこう言った。
「俺様の糸だ。なのにお前のお陰で一人で上れなくなった。お前を落とすとお釈迦様に糸を切られる。かといって二人で上れば重くて糸が切れる。にっちもさっちも行かない。行き詰まりだ。すべてはお前のせいだ」
「いやいや、釈迦は一人だけ助かろうと浅ましく思わなければ許してくださ・・・」
 終いまで言わせず、カンダタはまた男を小突くのだ。ぶはっ。
 顔を出し、息を吸い込むと、また小突いて池に沈める。見るとカンダタは笑っているのだ。苦しみのあまりもがいて頭を天へ向けると今度は蹴りを入れてきた。血の海に溺れる。必死に糸を掴む。また小突き、蹴る。沈む。また浮かび上がる。その繰り返しだ。息も絶え絶えの男を見て、カンダタは高らかに笑うのだった。
「おいおい、ここは地獄だぜ。また死ぬ気かい」
「あぷあぷ・・・(苦しい)」
「おもしれぇ」
「あぷあぷ・・・(さっさと天へ行ってくれ!!)」
 男は溺れながらカンダタに悪態をつく。彼はきっと照れ屋なのだ。
 しかし、お陰で地獄もまんざらつまらなくもない。
 そんな気もしてくるのだった。
 
 

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畠山鈴香被告の判決を聞いて思う。

 
 
 医者と言うのはたとえ精神科の医師であっても優等生の患者を好む。
 ましてや証拠として扱われるならば、自分の経歴や評判を穢さぬ者、信頼のおける者にしか「病名」は与えないのだった。
 
 私から見たら夫を切り刻んだ妻よりも畠山鈴香被告のほうがよほど狂っているように見えるのだが、もちろん犯行に及ばざるを得ない一時的な心神喪失などもセレブの特権なのだろう。
 人として劣等とされる下層貧民には無期懲役がせいぜいの恩恵と言うところなのだ。
 
 一歩間違えたら裁判所で土下座をしていたかもしれない私は、だからこそ決して罪は犯さないと心に決める。
 
 
☆☆☆

畠山鈴香被告、突然の土下座 遺族は苦悶の表情

 「大事なお子さんを奪ってしまい、申し訳ございませんでした」。青白かった顔を赤らめ、涙をためて土下座する被告。苦悶(くもん)の表情の遺族。秋田地裁で19日あった秋田県藤里町の連続児童殺害事件の判決公判で、殺人などの罪に問われた同町粕毛、無職畠山鈴香被告(35)は判決言い渡し後、初めて遺族に直接謝罪した。逮捕から1年9カ月を経て下された重い審判。法廷では関係者の心に深く刻まれた思いが交錯した。
 約1カ月の間に長女とその友達だった2軒隣に住む男児を殺害し、全国を震撼(しんかん)させた事件。「被告人を無期懲役に処する」。藤井俊郎裁判長に告げられ、着席を促されると、畠山被告は無表情のまま静かに腰を下ろした。
 畠山被告は午前10時、白ブラウスに黒のジャケットを羽織った黒パンツ姿で入廷した。傍聴席にはこれまでの公判同様、殺害された米山豪憲君=当時(7つ)=の父勝弘さん(41)と、遺影を抱いた母真智子さん(41)が座った。
 主文言い渡し後、判決の朗読が続く。勝弘さんは顔を紅潮させ、唇をかみしめて前を見詰めた。真智子さんはこらえきれないようにハンカチで顔を覆い、ひざの上に置いた遺影の陰でおえつを漏らした。
 微動だにせず聞き入る畠山被告。判決後、退廷せずに突然、裁判長に向かって口を開いた。「今まで謝ることができなかったので、米山さんに謝罪したい」。緊張が走る法廷。畠山被告はピンクのサンダルをぬぎ、傍聴席の米山さんの方に向かって額を床につけた。
 畠山被告の母と弟も傍聴した。母はハンカチを握り締めて畠山被告に視線を送り続け、弟は最後まで硬い表情を崩さなかった。退廷する畠山被告と目が合った母は、あふれる涙をぬぐった。

 
☆☆☆
 
 ところで、ニュースでキャスターがこう言っていた。
 「畠山被告に土下座をされた遺族は余程悔しかったのか、声を上げて泣いた」
 最愛の息子を殺したものに謝られることは悔しいと表現されることなのだろうか。
 「憎い」ならわかるのだが、「悔しい」だとまるで反省もしていない加害者に謝られて、更なる侮辱を受けたかのようだ。
 報道番組の作り手は、畠山被告が本当に反省していると言う可能性など、露ほども信じてもいないかのようだった。
 
 
 
 
 

femaleの逸話

 
 female
 
 昔、「フィメールの逸話」と言う物語を読んで、衝撃を受けた。
 物語の主人公のようにもし私が記憶を失くしたならば、記憶によって形成されていてた私は消滅し、それでは今ここにいる私は誰なのだろうか、と。
 もし私が記憶を失くしたことにさえ気付けぬ老人であるか、またはそのことによって自分が壊れた事実も意に介さぬほど新しい自分に適応していたなら、当然私は私を疑う余地もなく幸福と呼べるのだろうが。
 しかし、以前の私をこそ、愛していた人がいたとしたなら、それは愛する人の死に値する。
 愛する人が私を愛せなくなっても仕方がないのだった。
 
 物語の結末では、主人公は崩壊した自分を嘆くこともないし、愛する人も失わない。
 彼は彼女が記憶を取り戻すまで、彼女を追いかけようと決意を固める。
 
 
 
 
 

釣り銭は投げろ!と言うマニュアルについて。

 
 
 コンビニエンスストアで店員からおつりを渡される時にセクハラをされるらしい。
 可愛い女の子が客だと、小銭を渡しがてら手を握り締めると言う話を聞いたことがある。
 よくコンビニに行く私は、気に入った店を見つけると通いつめる癖がある。当然店員にもお気に入りがいる。混んでいても、テキパキと客を捌けるベテランの人を好み、大抵は商品をレジ袋に入れるその入れ方の順序が上手く手際よく、レシートは必ず渡してくれる。おまけに礼儀がちゃんとしているのだった。まるでコンビニの店員であることに誇りを持っているような働き方の店員さんを見つけると、必ずその人がいるレジに(大手のコンビニのよく混む時間帯には必ず多くのレジが開放されるのだ)並ぶのだった。
 しかし、そんなコンビニ店員マニアの私でもセクハラにあったことは一度もない。
 セクハラだなどと言われないよう気を使っているのか、手を握られるどころか、手に触れないようにそっとお釣りを渡されてしまう。
 一時期、仕事が忙しく、スーパーが営業している時間帯に家に帰れないことが多かった。必然的に朝、晩、コンビニで食糧を買い込む。お気に入りの店員さんは、そろそろと意識を始めるのだ。
「ねぇさん、僕のコト好きっすか・・」
 青年の呟きが聞こえそうになってくるほど、私が店に入ると、はっとしはじめるのだった。
 もちろん彼への恋心からそのコンビニに通いつめるわけでも、彼のレジに並ぶわけでもないのだが、まぁそう思われても仕方ない事態であることはある。私は心地よいサービスを受けるために、その誤解を観念して受け入れる。誤解はだんだんとエスカレートして、青年はヘアスタイルを変えめっきりお洒落になったり、私の来る時間帯になぜか制服のジャンパー姿ではなく、私服姿で店内をうろうろしていたりする。
 しかし、そんな私でも、絶対に手を握られないのだった。
 別に私は断じて手を握られたいわけではない。
 単純に、だけどおかしいじゃないか、と思うだけなのだが、最近では不思議を通り越して異様にさえ思う。
 お気に入りのコンビにだけではなく、ありとあらゆるコンビニの店員は絶対に私に手が触れないように、まるで投げるようにつり銭を渡してよこすのだ。あまりにも露骨だったために、つり銭を受け取れなくて床にばら撒いてしまったこともある。いったいなぜなのだ・・・
 私の手には触れたくないのだろうか。汚いとでも言うのか。
 へこんだ私は、他の人たちも同じだろうか、と疑問に思い、コンビニのレジに並ぶたびにつり銭を渡すところをよく観察するようになった。
 私が汚いわけはない、もしかしたら私が美しいから意識でもされているのかとずうずうしく思ってみたりもしたのだが、そうではなく、やはり、男の店員も女の店員も、どの客に対しても手が触れないように渡しているようなのだった。
 いろいろな国籍の客が来るから、手が触れることによって菌に感染しないようしているのかもしれないと思ったが、人の手より硬貨のほうがよほど汚い。そういうわけではないだろうに不思議だった。最近は仕事も落ち着き、コンビニだけではなくスーパーにもよく行くのだが、ここでも必ずと言っていいほど店員と手が触れ合うことはない。みな、触れないよう気を使って硬貨を渡してくれている。比較的若年のフリーターの多い、コンビニだけの傾向ではないのだった。
 
 昔はこんなふうではなかったと思うがどうだっただろう。家から一歩外に出れば、もっと人と触れ合っていたような気がする。好むと好まざると関わらず、そうしなければ買い物も出来ず、電車にも乗れず、外出の目的を達せられず、そんなふうだったように思うが、今は一切人と触れ合うことはない。心だけの話ではなかったのだ。
 街は冷たくなった。
 せいぜい満員電車でどつかれるのが関の山である。
 
 そう嘆く私が、ここ最近で一番感動したおつりの渡され方は、年配の女の人だった。
 場所も人情味があって納得の大手スーパー「イトーヨーカドー」のフードコートだ。ぽっぽちゃん、と言うのだが、ラーメン屋たこ焼きを売っているのに、なぜぽっぽちゃんかと言えばもちろんかつてのシンボルマークが鳩だったからである。
 コーヒーを買ったら店員の太めのおばちゃんは、昔のように自分の手を下に添えて上から私の手のひらにおつりを乗せた。
 私が自ら硬貨を握り締めるように、自分の両手で私の手のひらを握り締めるのだった。ぎゅっと。
 手のひらの温度が伝わってきて、妙に熱かった。
 暖かいと言うよりは、熱かったのであった。
 客に失礼だから手には決して触れないように、と言うマニュアルがもしあったとしても、おばちゃんに手を握り締められた私がそれを不快だと思うことなどもちろんなかった。 
 なぜだか懐かしいと思っただけである。