待ちに待った桜の季節です!!!
日曜日に用事のある私は、今日一日しか桜を撮りお出かけできる時がありませんでした。
(きっと来週末は散ってしまってますから)
どこへ行こうかなぁ、と夢想を巡らせます。桜の名所として有名な場所をあれこれとあげては候補に入れていきます。
文京区の六義園か、台東区の上野恩賜庭園にしようと決めかけた頃、何を思ったか母にこう訊いていました。
「土曜日に桜の写真を撮りに行くけど、一緒に行く?」
両親との思い出を作っておきたいと思ったのか、一人だけで美しい桜を楽しむことに気が引けたのか、ふと一緒に行こうかと思ったのです。
桜の写真を撮るのをずっと楽しみにしていたので、一年で唯一の一日、そんな時に最近めっきり老いてきた両親と一緒に出かけたのでは、思う存分撮れるものも撮れない、ましてや私は集団行動が苦手です。現実的には理解していたのですが、まぁ何とかなるだろうと言う楽天的な気持ちでした。
私は先週、確か、上野あたりに行ってみようか、と東京都心に行くことを伝えていたはずです。
しかし、木曜になって訊いてみると、父はしっかり行く場所を決めていました。もちろん上野ではありません。
「近藤勇の墓があるんだよ」
父は近藤勇の墓が日本人なら一生に一度は絶対に見ておくべきであるかのような、いやもちろんそうなのでしょうけど、クリスマスに桜餅を食べるのが常識だと言うかのような趣きで言うのでした。私は年に一度のクリスマスケーキを無性に食べたい気分で、ましてや新撰組には何の思い入れもないのですが、後になっていい思い出になるかもしれない、なんてふと思ったりもするのでした。
「父が近藤勇の墓を見たがって、行ったんだよね。あれは生前最後のわがままだったね・・」
(縁起でもない想像ですが)通夜の日にぼんやりと呟いて、あり日の父と母が近藤勇の墓の前ではしゃぐ姿が思い出されます。
「じゃぁ、行ってみようか!」
私はデキた大人の気分になって話に乗りました。両親と桜の名所とは無縁の調布市へお出かけです。
それでも父が提案したのは、私が聞いたこともないお寺で、深大寺と言うところなのです。どうしてそんなところに近藤勇の墓があるのか、まぁ寺だからあったのでしょうが、良く分からないまま、父にお任せしました。深大寺は天平五年に開創したと伝えられ、関東では浅草寺に続いての古いお寺になるそうです。調布の深大寺と言えば、深大寺蕎麦が有名らしいのです。深大寺の周りは蕎麦ストリート状態で、蕎麦屋が連なって立ち並んでいるのでした。
「美味しいお蕎麦を食べよう!」
こうして年に一度の貴重な桜撮影日は近藤勇の墓参りと蕎麦食い倒れツアーになりました。
着いてすぐに目に入ったのは、満開の桜ではなく、蕎麦屋の行列です。
どうも私の頭のなかは、知らず知らずに桜から蕎麦にシフトされていたのかもしれません。美味しそうな蕎麦屋さんと蕎麦団子に目が惹かれます。
天ざるととろろ蕎麦を食べさせていただきました。二時間ほどの間を置いて別の蕎麦屋に入り、二回食べたのでした。いつもはいわゆる二八蕎麦と言われるそば粉八、うどん粉二の割合で作った普通の蕎麦を食べているのですが、蕎麦の本場と言うことで十割そば粉の蕎麦を食べました。デザートはもちろん蕎麦まんじゅう(桜バージョン)です。お腹がいっぱいになりました。
ところで、近藤勇の墓なのですが。
調布市観光協会が配布している「深大寺蕎麦マップ」、これに境内の見どころが載っているのですが、親子三人で何度目を凝らして探しても近藤勇の墓は見当たりません。
新撰組に詳しい方、いや、詳しくない方も当たり前に知っている事実かもしれませんが、彼の墓があるのは調布市とも、深大寺とも、何の関係もない三鷹でした。ただあちこちにある彼の像が調布にもあるだけで、しかもそのひとつと言うのもまた深大寺周辺に存在するのではないのでした。
帰り道、調布駅前の交番で、おまわりさんからそれを教えてもらった父はちょっと残念そう。こんなことならウェブでそこ(近藤勇情報)も調べておいてあげれば良かったなと私は後悔。母はテレビ番組で見たのと景観が違う、と始終むっつり。(テレビって良く見えるんですよね)
案の定、桜は名所に比べると見劣りがするし、私は気が散って思うように撮れないし、三者三様イマイチしょぼい感はいなめないのですが、それでも蕎麦は美味しかったし、両親と三人で出かけたのは久しぶりのことなので、くたくたに疲れたけどどこか達成感を味わえたりもしたのでした。
電車の中で別れる時、母は私のジャケットをぎゅっと掴んで、顔を上げます。
「今日はありがとうね」
照れくさそうに笑うのでした。
ところで、深大寺は縁結びで有名らしいのです。その別れ間際に父が呟いたのでした。
「でもお蕎麦美味しかったし、良かったよね!」
「あそこは縁結びで有名なんだよな」
ふと胸に引っかかりました。確か境内でめいっ子にお守りの土産を買っているときも、同じ言葉を呟いたのです。「ここは縁結びで有名なんだよな・・」
私はその時、縁結びのお守りを横目で見て、ただそれだけでした。興味を示したふりをするのもいい年をして恥ずかしかったし、そんなことを気にしてもいないと言うポーズを取りたかったのかも知れません。そう、欲しかったけど、格好つけて買いませんでした。
ひとりの帰り道、こんなふうに思うのでした。
「縁結びのお守り、買ってあげればよかったな」
私自身にです。きっと、いえもしかして、それが一番の親孝行だったかもしれない。
父は近藤勇の墓などどうでも良かったのかもしれない。
もしかしたら。それは二の次であって、縁結びで有名なお寺だったから私を連れて行きたかったのかもしれないな、なんてふと思うのでした。