平成21年4月17日、土曜日。私は武道館の2階席に座っている。
前回ここにいたのはもう20年近く前のことだ。その時ステージに立っていたのは長い巻き毛のミュージシャン、今日の政治家先生たちとはまるで違う。私は自分の変化と言うより、節操のなさに、笑った。
隣では体格のいい青年がもぞもぞ動いてせわしない。ときどき私の腕をすっ飛ばす。集中できない。やっと見つけてありついた席なのに、どうもババをひいてしまったようだ。青年が多分トイレだろう、席を立つと、私はようやく落ち着いて主催者から手渡されたカタログを読み始めた。
「外国人参政権に反対する一万人大会」
冒頭にある、反対する、という文字を見て、なるほど、壇上は政治家先生ばかりだがこれも反体制側の主張ではあるのだな、とふと思う。ロックミュージシャンとの共通点を見つけたつもりなのだ。まぁ、たとえあの時の彼らが反体制を気取っていたとしても、しょせんショービジネスの世界に組み込まれたれっきとした「プロ」であったように、今日の私も夏の参議院選挙に向けて一票も多く票を獲得したい各党の先生方のプロ根性を目の当たりにすることになるのだが、それは後の話。このときの私は、これから始まるドラマにわくわくしている。20年前のように、ステージの彼らとこちら側の私たちの魂と魂が触れ合うような、熱い、ほとばしる思いを感じ合うことができるのではないかなどと考えている。
前の列では、見覚えのあるでかい青年が歩いている。どうやら一列間違えたようだ。黒のライダースジャケットとジーンズ姿の彼は、私の斜め前の空席(そこにも空席があったのか!)に座ろうとして、席取りのためにおいていったカタログがないことに気が付いてきょろきょろしている。私はよほどカタログを渡してあげようかと思った。出来れば、私の隣に戻ってこないで、ずっとそちらにいてほしかった。
「そちらへいかれますか?!」
声がしたので見ると、私の左隣のご老人、どうやらでかい青年の右隣に座っていた方らしい。彼はカタログを取って渡してあげようとする。
「いえ、戻ります」
老人と私はがっくりと肩を落とした。が、青年の挙動不審は怪しいものではなくて、どうやら知能障害だということに私は気が付いた。しゃべり方が特有の舌足らずだったのだ。おまけに、抑揚がなく、異常に大きな声である。それならば仕方ない、悪意はないのだから寛容にならなければ。障害がありながら日本国民の決起集会にたった一人で参加するとは、素晴らしい心意気ではないか。そうだ、たとえステージに生まれて初めて見る亀井静香金融担当大臣がいようとも、平沼さんや関岡さんがいようとも…
「2時から始めさせていただきたいと思います」
「すみません、前のその席空いているんですかね」
会場のアナウンスと同時に、私は身を乗り出して前の席のご老人に声をかけた。やはり青年には申し訳ないが、これから始まる2時間余りを集中して過ごしたかった。障害者差別などでは決してない。が、無事席を移して、開会後に国歌斉唱が始まると、またしても私は青年にひどい仕打ちをしてしまう。
笑いが止まらなくなったのだ。
「きー!みー!がー!あー!よー!おー!はー!」
彼の歌声のばかでかさと抑揚のない独特の節回しがツボにはまって仕方がない。記憶に残る限り、生まれての経験である国歌斉唱を私はほとんど歌うことができなかった。神妙に歌いだしては吹き出し、また顔を真面目に戻して、歌いだしては吹き出し。隣のご老人二人組に諭されるような熱視線を食らい続けた。
最初の挨拶は初代内閣安全保障室長の佐々淳行さんだった。そのあと各党の政治家先生の挨拶と続くのだが、さすがだと感心したのは、皆さん声が大きい。それに喋り方がうまいのだ。間の開け方も抑揚の付け方も、言葉に説得力を持たせるに十分だった。散々街頭演説や公園などで場数を踏んでならしているのだろう、その腹から出す声は、まるで空中に拡散せずに、そのまま直球で、こちらの胸や腹に突き刺さってくるようだった。
佐々木さんはお身体が悪いのか、手を引かれての登場。介助を受け、大儀そうに壇上に上がられる。で、不安げに見守れば、開口一番前述の語り口調でずんと胸を射抜いてくる。腐っても鯛とはこういうことを言うのだろうな、と私は妙なことを思っている。「政治は言葉の遊びではありません!命がけで国民を守るという覚悟なのであります」とはそのあとの亀井大臣の弁だが、いやはや、言葉遊びではないと言いながらも彼らは言葉の扱いが死ぬほど上手い。政治家や、佐々さんのように人の上に立つもの、指導となるべく生まれてきた人たちというものは、聴衆するものの心を奪う言葉の術を生まれながらに身につけているのではないかと思われた。多分、たとえあと何十年の時が過ぎて、彼の病状が深刻な事態となったとしても、やはりあの腹から出す直球の語りかけは変わらないのではないか。命の灯が消える寸前まで誰かの心を奪う言葉を発しているのではないかと思えてくるのであった。
佐々さんから外国人と日本人の闘争の歴史の流れ(キャリア組警察官からの視点で)を聞いたあと、彼によって今度は各党の代表者の紹介がなされる。
まずは、現金融担当大臣であり、今国会での法案提出を阻止した功労者、亀井静香大臣である。
「亀井君、彼はね問題児、」と私たちを笑わせた後、佐々氏はこんなエピソードを紹介する。
「首相も外務大臣もだめだっていうの。それを首相と外務大臣の許可もないまま、頼んだらね、彼がはいとすぐに二つ返事でやってくれた」
阪神大震災の災害対応の話である。
武道館アリーナから3階席まで一万数百名、全員がおお・・という声を漏らす。あの時は政府の対応が遅いと批判されたが、それでもましだったのだ。亀井大臣がいなかったらもっとひどいことになっていたのかもしれない。いのちを守りたい、などと阪神大震災を持ち出しては軽薄にアピールするこの国の首相はその時どこにいたのだろうか。私たちは全員大拍手で亀井大臣を迎える。
「みなさん、今この国がどんなに恐ろしい状態になっているか知っていますか?こんな国にいったい誰がしたんですか?」
ところが亀井さん、やはり問題児らしさを発揮して、大ブーイングを食らうのであった。参議院選を意識して、自民党批判を繰り広げる。
「関係ねーだろ!参政権のこと話せ―――!」とあちこちから大きな野次。せっかく感動した直後だったのに、なんてもったいないことか。彼にしてみれば外国人参政権は反対だが、参政権に反対するの国民票がすべて民主党から野党に流れたら困るところなのだろう。連立与党としては、参政権は反対だが、そんな危ない日本を作ったのはそもそも自民党だということを強調しておきたいところらしい。
この亀井さんに対する感動ムード→野次で、一気に私はここが各党の宣伝場所だという事実を悟りがっかりしてしまった。もちろん日本を守りたいとか信条的なものはみなさんあるのだろうが、その前にまずは票集め。まずは党のアピール。食うか食われるかの戦場なのだ。よく考えれば大物政治家が入場無料の集会にこれだけ集まるのだから、みなさんそれなりの宣伝効果を期待しているのは当然だったのに、私は純粋に信条の繋がりのみで各党の政治家が集まったのかと思い込んでいたのである。
で、亀井大臣自民党批判よろしく始めたが、大ブーイングを食らったので、一気に話の流れを変えていく。(この180度転換もまた見事だった)今の日本は今何が起こってもおかしくない。危険な状態です。夫婦別姓、外国人参政権!(参政権・・と聞き野次がおさまる)
「外国人参政権がこの国の崩壊につながるのは当然であります」(大拍手)
「今国会で通らなかったのはあたながたが今野次を飛ばした、この私、この国民新党が断固反対したからであります」(大拍手)
「国民新党は夏の参議院選も決死の覚悟で臨みます」(大大大拍手)
言葉尻は正確ではないが、このような主張で武道館の観衆の心を鷲掴み、国民新党を大アピールして終了する。席に戻ると、隣の大島幹事長は苦虫をかみつぶしたような顔。
外国人参政権反対派に一番貢献しているのは国民新党だと聴衆の前で念を押されたようなものであった。いくら自民党が県議会を回って反対票を集めていても、国会では何一つ出来やしなかったではないか、と。「亀井のやつ・・・」という大島幹事長の内心の声が聞こえてくるようであった。
反撃が始まった。次に壇上に歩み出た大島さんは礼儀正しく佐々氏に一礼。先ほどの親しみ深い亀井大臣の挨拶とはまるで違う。破天荒な亀井氏のあとだけに大島幹事長の礼儀正しさが際立って好ましく映っている。彼の主張は日本の安全保障と国民主権を守ることだ。
「今、日本の主権を守らなければなりません。国民の固有の権利を守るために我が党は党をげて戦っていきます」(大拍手)
そもそも外国人参政権に反対する方々は自民党支持の方が多いのだろうか、大島さんが言うことは何を言ってももてはやされていた。また、問題点を党として参政権に反対か、賛成か、という事実のみに絞り、民主党(与党)=賛成、われわれ=反対=あたなたちの味方、という図式でわかりやすくアピールする。亀井さんがいくら貢献していようとも、彼は与党の一員で参政権に賛成している民主党の仲間です、本当の味方は私たちですよ~とさりげなく自民党を売り込む。大拍手が沸き起こる。
挨拶を終えて、大島さんが席に戻ると、今度は亀井さんが苦虫をかみつぶしたような顔になっている。大島さんが彼に向って、ふふん、と笑ったように見えた。
面白れぇなぁ…
ここにきて、私は先ほど失望した思いも、自分の国を憂う気持ちをもすっかり忘れ、政治ショーを楽しみ始めている。なんとこの後、みんなの党の渡辺喜美さんまで現れたのである。彼はわざわざ予定を変更して駆けつけたという。外国人参政権反対派の国民票を逃すものかと、必死の思いが伝わってきた。
「みんなの党は政治のゆがみを直します!」
彼は小さな体をあっちこっちに動かして、腰を曲げたり、手を差し出したり、拳を振り上げたり、身振り手振りで演説をする。声色も面白いように使い分け、党のアピールと聴衆に語りかけるときは猫なで声、民主党批判はあからさまに怒った声で、それが芝居がかっていて、本気よりも本気らしく話すので本気だとは思われないほどだった。彼もわかってやっているのだろう、演説途中まで、つい先ほどまでは国民新党、自民党側に寄り添っていた聴衆を全部かっさらうかのような第三極ぶりをアピールし、亀井さんと大島さんの危機感と警戒心をあおり続けた後、最後の最後でジョークに転ずる。
「みんなの党は調査によるとなんと公明党を上の第三党なっているのです!ネットの調査では自民党の上を行っているものもあるそうです!このままいくと第二極になる勢いです。えっ、第一極でもかまいませんよ!みんなの党が、第一極になれば政治のゆがみを直します!ぜひよろしくお願いいたします!」
自民党より上だの、民主党を抜いての政権取りだの、そこまでいくと明らかに現実的ではなく、誇大表現の「笑い」である。それを見越して、自ら道化となって聴衆も他党の面々も笑わせては、安心させている。この後、渡辺さんは各界のみなさんの演説を聞かずにすぐに帰られた。調子の良さと要領の良さが目立ちはしたものの、「みんなの党」の愉快な印象は頭にしっかりと残された。難しい話は忘れても、これはみな忘れないだろう。
民主党の松原さんは大ブーイングで迎えられた。やはりこの反対する大会では、推進する民主党はテキなのだろう。「ひっこめー」だの「党に帰れ」だの次々と野次が飛ぶ。
こちらもまた、まずは政党なのだった。多分この集会で(一般参加も多い)民主党の票が全部流れることを阻止しようと、党から送り込まれた刺客のようなものなのだろう。個人的な信念も理念も国思う熱い思いも、誰よりも伝わってこなかった。権威ある名前や言葉を始終持ち出しては、それに対して自分も同じ思いだと訴える。が、知識を披露するたびに、野次が飛んで苦笑いする。あまりにも、とほほ・・・な状態だったので、最後には聴衆たちが同情的になり、「しっかりやれよー」「がんばれよー」などと励ましの声が飛んできた。
「民主党にも法案に反対する者たちがいるということを忘れないでください!」(大拍手)
党から送り込まれたのか、監視されているのか、(民主党の面々はステージにではなく、アリーナの最前列に座っていて、批判が飛ぶたびにモニターに映し出されていた)それとも政権の退陣後を見越して個人的就職活動をしているのか。そんなもんでしょ、と思うくらい全く心を撃たれない。まだまだ政治家未満、テレビで見ると楽しい人なんだけどタレント向けなのだろうかと疑問に思いつつ・・・
圧巻はたちあがれ日本の平沼さんだった。
様々な党のアピールがあったので、新党をたちあげたばかりの彼がどう演説するのか楽しみだったのだが、こちら全く党を意識していない。
何も、党の宣伝をしないのだ。政治ショーを楽しみ始めていた私は、はっとさせられた。
「よく鳩山君がいのちいのちというけれど、いのちをかけているのは彼ですよ。平沼君はいのちがけでやっています」
とは佐々さんの平沼さんの紹介の弁だが、党自体を紹介したのは佐々氏だけだったのではないか。本人は語っていない。平沼さんと与謝野さんが二人とも大病をしたこと、そしてその後のいのちをかけて、いのちがけで国のために尽くそうとしていることを訴えられた。
平沼さんは涼しい顔で、対馬へ偵察に行った時の経験談を語っている。天皇陛下の記念碑が立っている、対馬で一番見晴らしのいい立地を韓国人に買い取られて、日本人は入れないこと。航空自衛隊も海上自衛隊も駐在しているものの、一機の飛行機も一隻の船も(対馬にいる自衛隊は)持っていないこと。対馬のかつての港祭りは今は「アリラン祭り」ということ。アリラン祭りには韓国の有力者が現れて、「対馬は韓国の領土です」と書かれたたすきをして演説をすること。
「訓練したものが駐在していると言っても艦船に航空機もない。もしも誰かが銃を持って攻めてきたらどうやって守るんですか」
言いたいのは自主憲法制定の哲学というよりは、日本には日本と日本国民を守ろうという気概が抜け落ちているということらしい。日米安保も大切だが、それをしっかり守っていかなくてはいけないけれど、しかし、私たちが住んでいる国、私たち自身たちを、私たちが守ろうというひとりひとりの覚悟。それはないんですかと。問われているように思えた。もちろん、守るのは彼だと言う。佐々氏に先ほど言われたように、命がけて頑張ってまいりますのでよろしくお願いいたします、と確かにそうおっしゃられている。話の始めはかすれた声で、トーンも低く、腹から響く声というよりは少々弱弱しい。老人の声。ところが体験談のあと、意思を伝える頃には朗々となり、一語一語を区切って、はっきりと。
「全国の皆様方の力が沸き起こって、それが国を動かしたわけです。どうかお力をお貸しください」
「平沼赳夫、命がけで、頑張ってまいります」
それは私たち全員への覚悟を問う声で、私たち全員の答えでもあった。多分、私だけではなく、あの場にいたものすべてがショーを忘れて、心をひとつにした瞬間だった。
沸き起こる拍手、なかなか鳴りやまない。外国人の参政権の話だけではなくなっている。拍手で彼の演説が聞こえなくなるほどだった。
心からの言葉だった。何も犯されておらず、それよりも優先されるものは何一つ存在しなかった。
私は若き日のことを思い出している。音楽も、政治も、同じなんだ。自分が変わったわけでも、節操がなかったわけでもなかった。
そして、悟ったつもりになって、失望した自分をこそ恥ずかしく思っている。
※余談だが、各界からの提言で、一番聴衆の心を捉えていたのは、エドワーズ博美さんの演説だったように思う。
冒頭に動画を貼り付けておきます。
彼女の言葉を聴くと、「私たちを守る覚悟のない私たち」の時代の異常さが浮かび上がってくるようだ。