金時山より富士を見る ~北風と太陽と継続する道のりと~

   

 

 
 
 ここ数日、いや、もう数週間になるだろうか、体に異変を来たしている。
 思い出したようにある日突然過食をする。チョコレートやクッキー、甘いものを何か大量に買い込んで、胃腸が壊れるほどに食べる。翌日下痢を起こす。そうしてまたいつものようにストイックな日々に戻るのだった。
「継続は力なり」
 昨年春辺りから目標を定め着々と励み、取り組んで来た。叶えるためならと他のものを犠牲にもした。修行僧のようでもあった。疲れたり弱音を吐きそうになると上の言葉を思いだした。継続する力なり。
 と言っても私はこの言葉がそう好きでもない。特に、自らを鼓舞するためにではなく、継続をやめたものに言い放つ(ためにこの言葉を使う)ある種の他人の傲慢さが鼻に付いた。そもそも継続することはそんなに偉いことだろうか。例えば会社だ。一癖も二癖もある悪いやつらばかりが生き残り、一緒に働いていて救われるような存在の心優しき人たちは脱落して行ったりもした。例えば時間と実績の関係性だ。1時間で山頂と標識にあったとする。時速何キロで歩けばとは書いていないが、ハイカーなら何となくわかる。しかし、山に慣れない者たちがこの標識を見た場合、どれくらいのペースで歩くかと言う前提をすっ飛ばして「あと一時歩けば(経てば)山頂だ」と判断するかもしれない。つまり能力とか実績とかは関係なく、時間だけを重要視するものたちも多々あると言うことだ。彼らは山頂に辿り着かないまま、そのことにも気がつかず10年間同じ会社に勤めていたとする。100歳まで生きたとする。彼らは言うだろう。「私は○○年ここにいるからね」と、新参者を震え上がらせるだろう。その場合も継続するは力なり、と本当に言えるのだろうか。
 私は時々つまらないことを考える。
 40年以上同じ会社に勤めて定年退職していった人たちが、自分より早く効率よく山を登るものを見つけたときに、そのものが登山コースから外れるように願ったり、仕組んだりなどしなかったと誰が証明できるだろう。自分が継続するために。長いこと継続している彼らにとって、それはたやすい些細な後押しに過ぎなかったに違いない。
 ああ、継続するは力なり、ってその力のことか。なるほど。などとひねくれたことを思う。
 私が思う、この言葉を本当に他人に対して使ってもいいものたちの定義はこうだ。
 継続し、一般のごとくただ継続してるだけでなく、継続した結果誰よりも早く達成して頂上に辿り着き、なおかつその頂上に継続して居続けられるもの。そしてなおかつ、後から山頂目指して来るものを、彼らが早く辿り着けるように助けることが出来るもの。
 それが出来て初めて言うのだ。「継続するは力なり。若者よ、お前も早く上がって来い」と。
 
 
 富士を撮りに金時山に出かける。
 御殿場駅で降りた私は目の前に聳える大きな富士に驚いた。こんな大きな富士を目の当たりにしたのは何十年ぶりだろう。
 バスに乗って乙女峠に向う。気が急いて仕方がなかった。こうしている間に、急に雲が流れて富士が隠されてしまうかもしれない。転げ落ちるようにバス停を降りたのは私きり。ひとり足早に登山コースへと向う。山道の右手に突然獣道のような細い登山口が現れる。気は急くが足取りは重い。霜が降りて真白くささくれ立った細い道を黙々と歩く。自分の荒い吐息だけが響いていた。体力が落ちたようだ。私の過食は時々からほぼ毎日に変わりつつあった。
 今回の富士見ツアーは異変を来たした私が以前の私を取り戻す旅でもあったのだ。
 継続するは力なり、たとえ異変によってすべてがやり直しに戻ったとしても、今まで続けて来た私ならばすぐに戻れるだろうと信じている。あの時とは違うだろうと。
 荒い吐息が続く。苦しいと言う感覚を慣れた懐かいものとして味わいながら振り払うように歩いていく。しばらくすると標識があらわれる。乙女峠25分、金時山60分とある。時計を見る。もちろんただ60分過ぎれば山頂だとは思えない私は、時間を確認しながら自己の歩くペースを調整していこうと思っている。
 だけどだ。もしも。もしも60分経っても山頂が現れなかったらどうだろう。
 たとえどんなペースで歩こうと、効率や能力を確かめたくて人より早く歩こうと、達成義務を考慮して調整しながら人並に歩こうと、タイムも気にせずのんびり歩こうと、山頂がないレースだとしたらどうだろう?
 
 
山道を歩いていたら突然あらわれた獣道のような登山口(左)
細い山道がずっと続く。自分の吐息しか聞こえない。思わず熊でも出るかと思った。
こんなに霜が張っていると帰り道は解けてぐちゃぐちゃになって滑るだろうと心配する。
渡るとぐらぐらする橋。恐いです。
 
 
 乙女峠にはすぐに辿り着いた。タイムを見ると先ほどの標識から20分、まずまずのようだ。このまま行けば、あと35分歩けば「本当に」金時山山頂に辿り着くだろう。
 峠にはハイカーの団体さんが寛いでいた。これから登るのか、もう登ったのか、私より10歳~20歳ほど年上に見える彼らは木のベンチに腰をかけて談笑をしている。これから山を登ると言う意気込みは全く感じられず、この力の抜け具合からいうとすでに登り終えた後か、もしくはもう何度も登っていて「たかが金時山だ」と山を自分の庭のように感じている地元のハイカーたちだろうと見当をつける。この様子だとそうきついコースではなさそうだが、今の私からするとまだ判断するのは性急のようにも思えた。
 私は念のため休憩を取って、展望台から写真を撮る。富士の左側から流れて来る雲が気になった。休んでいる場合ではないかもしれない。
 急げば現実の山ならば山頂はやって来る。しかし、終着点のないレースだったらどうしたらいいだろうか。会社の例にしたって、全員が頂点の社長だの役員だのに辿り着けるわけではないではないか。大抵の人々はただ、ただ、日々仕事の継続を続けて、役職によるちょっとしたランクの違いはあったとしても、みな同じように達成できぬまま終えていくのだ。もちろん、個々の目的意識上のまたは業務上の達成はあったとしても、私が掲げた山頂に誰よりも早く辿り着いて居続ける、下を育てる、と言う項目はどうだろう。もしもそれが(私が定義するところの)本当の意味で「継続した上で力を手にした人」ならば、類稀な才能の持ち主ならともかく、普通に生きていたら誰も力など手に出来ようもないし、もしかしたら継続しない人こそが力を手にする場合さえある。
 類稀な才能の持ち主である彼は誰よりも早く上層部の存在になるだろう。そして多くの若手を教え、育てて、あっさりと去っていくとしたならば。彼は継続せずとも定義上したと同等の価値を得ることだろう。そのものが去る時は事故によるものだろうか。(例えば病気でやむをえない理由で継続できなかったとか)それとも自ら去っていくのだろうか。辞めたあと彼はどうしたか。同じような仕事をまた初めて、またあっという間に頂点へ行き、人を育てて、を繰り返して、場所は違えど同じ道を続けていくのか。道を歩き続けているならばもちろんそれも力となるだろう。だけど、この世界では同じ場所で続けてこそ「継続は力なり」を美徳とする場合が多いような気がするのだった。美談とされない本当の力を持った彼はどこへ流れるのか。私はそんなことが気になって仕方なかった。いつの間にか山道は佳境に入っていた。乙女峠のあとこぶのような小さな山を一つ越え、ゆるやかな山道を行くとすぐに金時山の頂上が見えてきた。
 終着点のないレースに、継続せずに終わりを告げるレースに。
 続けることが目的か達成することが目的か、金時山に付くころには何だかすっかりわからなくなった私はやっぱり体調の異変の所為だな、と結論付ける。どうもネガティブになって仕方なかった。
 もしかしたら、終着点は個人が感覚的に掴めるものなどではなく、何代も何代もかけて積み重ねてまさに永遠と続けてこそその果てにやっと得られるもので、達成したと思えたものは今の人生上での僅かな達成でしかなく、やはりそれさえも何度も何度も同じ達成を重ね続けて永遠と続けてこそ意味があるのかもしれないと。
 そう思ったらもう、今金時山に着いたとか着かないとか、タイムが30分だったとか1時間だったとか、それは小さな小さな積み重ねのたった一つの事柄で、何だかすべてが小さく小さくどうでもいいとまではいかなくてもそう大したことではないような気がして来て、寂しいような空しいような、何とも言いようのない無常感に襲われてくるのだった。
 今まで私は何を頑張ってきたのだろうか。
 
 
 
乙女峠の展望台から見た富士。左から流れる雲が気になった。
こぶ山を一つ越えて金時山へ。傾斜は急ではないが相変わらずの獣道(左)。
左に見える黒い起伏が金時山山頂。
ついに山頂に到着した。天下の秀峰金時山、海抜1213mとある。山頂には大勢のハイカーが集まっていた。

 

 
 山頂には大勢のハイカーが集っていた。彼らは記念撮影をし、富士を眺めて、いい天気で良かったねと笑いあう。
 反対側の仙石峠の方から登ってきた若い女の子達は叫んでいる。
「わぁー!すごい!!」
「こんなの初めて見た!うそ~」
 多分山頂について初めて富士を目にしたのだろう。私はひとしきり富士を撮り、過食続きの所為で全く空腹を感じない胃袋に持参のおにぎりを詰め込んだ。見回すまでもなく、ひとりでいるのは私だけなのだった。笑い声、叫び声、談笑を人々の多くの姿をシルエットのように感じながら、山頂の北風を受け止める。「今日は北風と太陽のせめぎ合いです」天気予報の一言を思い出している。冷たい北風と暖かい陽光と。相反するそれを同時に感じながら、それでも三脚を立てる場所を探しているのだ。
 どうでもいい小さなこと。多分人生における達成、もしくは継続ポイントは(そんなものがあるとしたらだが)0.00000000001くらいの小さな小さな事柄。私が金時山に登って富士山を撮るという行為はその程度のこと。私は汗冷えで震えが走った。登山中脱いでいた服をすべて着込み、北風に耐える。人々がいない小さな岩場に壊れかかった木のテーブルを見つける。草を掻き分け岩場まで降りていき、テーブルの上に三脚を立てた。
 それでも綺麗に撮りたい。
 少しでいい。富士を綺麗に撮りたい。
 そう願う私が居るのだった。
 
 
金時山からの富士。裾野まではっきり見渡せました。
皆見るのは富士山です。人気者ですね。ちなみに反対側には芦ノ湖が。
肉眼で見るともっともっと大きく迫力がありました。まさに聳え立つ富士。
  
 
 
 
 
 望遠レンズにPLフィルターを着ける。山頂で撮るとコントラストが足りない。どうにか空を暗くして、露出も慎重に決める。露出補正は一段ずつ変えて何枚も何枚も試し撮りを重ねるがこちらもなかなか上手くいかなかった。携帯用のちゃちな三脚ががたがた言う。そのたびにまた調整して、螺子を締めなおす。
 富士の撮り方は出発前に学習した筈だ。だけど、前の前に聳え立つ富士はそう簡単にはいかせてくれない。
 私は必死だったと思う。ひとつひとつは小さなことでも、積み重なれば力となるとか、その継続に意味があるとか、あと付けでいろいろ理由を言えたとしても、そのときは頭が真っ白だった。ただ富士山と対峙して思っていた。
 綺麗に撮りたい。
 北風も陽光も感じなくなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 全く満足しないまま私は帰途へと向う。たぶんこれ以上努力しても、今の私にはこれしか撮れないだろう。諦めと言うよりはやるべきことはやったと自負していた。だけど全く満足していない。もやもやしたまま、ひとり下山する。連れと歩くハイカー達は歩みが遅い。相手を気遣って、皆ペースを調整している。またはお喋りをしながら早く歩けるところものんびりと行くのだった。すたすた抜くのは忍びない。彼らの後ろをくっ付いていると大抵は気配に気付かれて、道の脇に退いてくれたり、靴紐を直すふり、立ち止まって景色を眺めるふり、それらの行為で道を譲られる。見知らぬ人が後ろにぴたりとくっ付いていては話しもし辛い。ペースもマイペースというわけにはいかず、どこか急かされてる様で嫌だろう。私は一抹の寂しさを覚えながら彼らを抜いていくのだった。一組、また一組。誰も私とは一緒に歩むものは居ない。ついに座り込んで、休憩を取った。特に急いでいるわけでもないが、疲れも感じなかったので、歩き続けていた。休んだら、さっき道を譲ってくれた人がまた追い抜いて、休みを終えた私がまた後をくっ付くことになるかもしれない。私は彼らのためだけにでも早く歩いた方がいいようにさえ感じていた。だけどついに座り込む。もう富士は見えなかった。木立、霜柱、岩の上に腰掛け、目の前には笹の葉がしなっていた。さわさわ、さわさわ、私が休み始めるとほぼ同時に、それらは騒がしくさざなみ始めた。背中からは陽光が注ぎ。
 今日は北風と太陽がせめぎあうと言っていたが、確かにそうだろう。しかし両者はせめぎあいながらも優しい。まるで孤独な私を労わるように騒いでは降り注いでいる。
「熊でも出るのかしら」
 まるで何者かの気配を感じながら、その一時に慰められて、私はまた足早に歩き始める。帰りのバスは松田駅で降りて、また松田山へ登ろう。先日のまつだ桜まつりのリベンジだ、と意気込んでいる。先日は曇りだった。今日ならもっと綺麗に撮ってあげらるような、そんな気がするのだった。
 
 
 1時間半近く待って乗った高速バスは眠りから覚めた私を松田のバス停で放り出した。するとそこは松田駅ではないのだった。駅に着くと思っていたのはどうやら私の勘違いで、高速バスは道の途中で乗客を降ろしていく。私が降り立ったのは西平畑公園の真ん前だった。まさにまつだ桜まつりの会場前に降り立った私は、人々に紛れて歩きはじめ、また小さな山と向き合っていた。あたりは桜、桜、桜。人々の笑い声も色鮮やかな、華やかな桜並木にかき消されていく。桜はすべてを包み込んでは咲き誇っている。まるで誘われたかのようだ。
 私は祭りの中へ飛び込んでいった。
 少しでも、少しでも綺麗に撮ってあげるからね。そう声を掛けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず
「念願は人格を決定す 継続は力なり」
真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ

住岡夜晃著『賛嘆の詩』(樹心社)より
 
 ※帰宅後「継続は力なり」の出典を調べていて上記の詩を見つけました。
 
 
 
 
  
 
 

枝垂れ梅降る頃 ~北鎌倉~源氏山~鎌倉散策~

 
 
 
 
 小説に関する散文でこんな一節を読んだ。
「想像してごらん、現実を」
 これには驚かされた。私は小説を書く際、現実とは絶対的な普遍の事実の集合体であり、私の手には負えぬどうにもならないものと捉えていた。だからこそ小説の世界を想像していたのだが、そうではないのではないか。つまり私の想像で成り立つのは小説の世界ではなくて、現実のほうだったのだ。
 もしそれを現実としていいのなら、私が主人公である現実世界は私が創造する物語で「いいのだ」。それはもう妄想でも夢想でもなくて、私にとっての現実だから、客観性とか、絶対的な真実とか、私以外のものが捉える物語は一切考慮しなくていいのである。そうだ、私の捉える主観を現実としてしまおう。
 
 テレビでは元小泉首相が芝居を演じていた。彼は言うのだ。「怒るより、笑っちゃうくらいあきれる」
 彼の劇場はどうしてこうも私の心を捉えるのか。オバマの比にはならなかった。彼が首相になったとき、私は日本が変わると信じたものだ。あの時の政治や未来に対するときめきを今誰が与えてくれると言うのか。たとえそれが間違っていようと問題ではなく。小泉純一郎の現実を無視した物語は絶対的で、私は不安を感じる余地もなかった。どれだけ幻滅を覚えても今なお与党を支持していたのは麻生首相ら自民党議員がその物語の後継者だと思っていたからで、田中真紀子や郵政造反議員のように彼が切り捨てたものなどもういらないのだった。私は箱に向って怒鳴ってみる。「もうやめてしまえ」
 
 私の現実から降りてしまえ。
 
 
 
「こんなに晴れているなら富士を撮りに行けば良かった」
 そう気づいたのは北鎌倉に向う車中のことで、午前中は雨という天気予報を鵜呑みにして寝坊した私は大急ぎで身支度を終え、慌てて電車に飛び乗ったところだった。
 天気は爽快、青空が広がり、2月とは思えない麗らかな陽気だった。
 前日私は雨の日に何を撮りに行こうか考えて、情報サイトを探したり同僚に尋ねたりして、決めていたのだ。「お日様と青空がないなら雨を撮りに行こう」
 雨が似合う舞台と言えば鎌倉ではないか。そう計画を立てた。まさかこんなに良く晴れるとは知る由もない。仕方なく私はピーカンで風情に欠けた鎌倉の町を写真に収めるのだ。何かが違う。でも今さら5時に起きて富士の絶景スポットへ向うこともできない。計画は続行だ。せめて鎌倉の源氏山から富士が見えればいいのだが。
 向ったのはまず北鎌倉駅から徒歩三分の東慶寺。ここは鎌倉尼五山で唯一現存する寺で、1285年(弘安8年)北条時宗の妻覚山尼が創建した臨済宗の寺だ。いわゆる「駆込寺」「縁切寺」として良く知られている。
 私はここで枝垂れ梅を撮りたかった。
 しとしとと雨に打たれる風情ある枝垂れ梅の絵を撮ろうと考えていたのだった。
 最近全く晴天に恵まれず、神からのご褒美のようなやっとの青空があいにくの天気になろうとは思わなかったが、私は計画を続行しようと枝垂れ梅を探している。ところが枝垂れ梅は背景に木々が重なって撮ろうとするとうるさい絵になったり、50㎜(今日のレンズ)で全体を入れるにはこれ以上下がる場所がないところに立っていたりとどうも撮りづらい。おまけに思ったよりも立派ではなく、花も寂しいのだった。
 東慶寺を出て、源氏山公園に向うころには私の意気は消沈している。全く思うように撮れやしない。納得できる一枚が一枚もない。それでもまだ前半だ。私は源氏山公園公園に向うハイキングコースを歩きながら思う存分自然に触れて、思いがけずリスに出会ったり道端の小さな花を撮ったり木の上のツグミを愛でたりして気分を晴らす。モチベーションが下がるのは自然現象的な作用だが、上げるのは意志の力によるそうだ。こんなところでへこたれてはいられない。
 
 
 
 
 源氏山は奥羽を舞台とする後三年の役(1083~1087年)で、八幡太郎義家が出陣する時にこの山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったところから「源氏山」とか「旗立山」と言われるようになったと言う。区域内には源頼朝像や大小様々な広場があり、桜の名所にもなっている。鎌倉時代、葛原岡一帯は刑場だったといわれており、後醍醐天皇の側近で、鎌倉幕府の倒幕に関わった日野俊基もこの場所で処刑され、その墓といわれる宝篋印塔(国指定)や俊基の霊を祀る葛原岡神社、銭洗弁天、佐助稲荷が近くにある。(鎌倉市公園教会(財)公式サイトより)
 
 

 
 
 源氏山のほぼ山頂にあたる天柱峰と言う峠を越えて、葛原岡神社で梅を撮り、その先の広場で持参の弁当を食べる。だいぶ視界が開けて来たが、まだ富士は見ていない。今日の私は慎重だった。注意深く富士を探していた。源氏山公園に辿り着く直前、突然木々が途切れ、視界が180度開けた。海が見える。ベンチの前に老婦人が立っていた。
「残念ですね。今日はダメです」
 老婦人は私を見つけると、笑みを浮かべながら言った。
「今日は見えませんか」
「はい。いつも必ず見えるのに」
 主語はなくても、そこが富士見のスポットと知らなくても、お互いわかっている。今日は富士は見えないのだ。たぶん老婦人は地元の人で、ほとんど毎日このハイキングコースを散策しては、富士を眺めているのだろう。いつも見える富士が今日だけは見えないという。天気はこんなに晴れて青空が広がっていると言うのに、見ると確かに水平線の遠くが白く霞んでいるのだった。
 
 
 
 
 
 私は残念だと思いながらほっとしている。もしも、富士がきれいに見えてしまったら、今日を無駄にしたような気分になったことだろう。たとえもっと富士に近い絶景スポットに行っていたとしても今日は富士は見えなかったに違いない。そう慰めて、意志の力で気分を高め、私の物語をより良く書き換えていく。
 源氏山公園で源頼朝像を見、寿福寺を見て、鎌倉駅へと向う。結局納得のいく一枚はまだ撮れていない。こうなったら鶴岡八幡宮にでも寄っていこうかと考えながら小町通を歩いていると、声をかけられた。
「スイマセン、人力車いかがですか」
 陽に焼けたじゃがいものような顔をした若者が笑っているのだ。
「一区間二千円からありますよ。今日なら枝垂れ梅が見ごろのお寺にご案内します!綺麗ですよ~」
 枝垂れ梅と聞いて耳が動いた。そんな予算はないと断りかけたが、俥夫の若者が差し示す鎌倉周辺の寺の図をつい食い入るように見てしまう。彼と別れた後にその寺へ行こうかと思っている。
「宝戒寺と荏柄天神がお勧めです。川沿いの裏道からこのふたつのお寺を周って綺麗な梅を見て、いいですよ~ 素敵な思い出になると思いますよ~」
 聞くと貸切でふたつの寺を回ると三十分で五千円になるそうだ。
「いえいえ、(地図を盗み見ながら)私は写真を撮るから三十分じゃ無理です~」
「ちょっとすぎても大丈夫です!それで余計にお金を取ることはありません。僕に任せてください!寺の中まできちんとご案内しますから」
 じゃがいも君は必死なのだった。
 お勧めのお寺だけを聞き出して、彼と別れた後にこっそり向おうとしていた私は何だか恥ずかしくなってくる。こんな世の中だ。この若者が俥夫と言う仕事に辿り着くまで、その経緯、その紆余曲折を思い浮かべ、それからまた地図を見て、彼が言う枝垂れ梅が綺麗だと言う寺を思ってみるのだった。私は人力車に乗ったことがなかった。父と母を乗せたいと願ったことはあるが、自分が乗るなどとんでもない。贅沢だと思っていた。しかし、それはどんな視界だろう?その車の上からの景色は、世界は、どんなものなのだろう。
「お任せください!」
 もう一度言った。黒い顔をくしゃくしゃにして笑っている。
 私は彼に任せてみることにした。ここは寺社に溢れた町だ。その場所でお金を落とすと言うことは、この地の賑わいに多少なりとも貢献していると言うことで、この地に根付く神仏たちにちょっと多めのお賽銭を上げたのだと思えばいい。
 それに私は私の物語に無関心過ぎた。
 今まで現実に沿うことばかりを考えて、客観性だの絶対的真実だの、そういった意志に負えぬものに恐れおののいては、自らの物語を書き換えてきたのだ。
「じゃあお願いします」
 顔をくしゃくしゃにしてまた笑う。京童と名が付いた人力車は颯爽と鎌倉街道を飛んでいく。一瞬私の体は宙に浮いたようだった。それからすぐに流れる景色を目の当たりにして胸が高鳴るのだった。
「どうですか?」とじゃがいも君は振り向いて満面の笑顔。
「すごいです。すごいです」
 私は興奮して言葉が出ない。視界が高いせいか、駅前の見慣れた鎌倉の町を全く違うものする。「早いですね。すごいです」
「最初は頑張っちゃうんです」見ると息を切らしているのだ。
「あ、ゆっくりで大丈夫ですから」
「いえ、男だからやっぱり最初はいいところ見せたいんです。そのうち歩き出しますよ」
 正直な若者のようだった。笑顔にも好感が持てた。このように屈託なく笑えるようになるまで、彼はたくさんの苦労を重ねたに違いない。
 人力車はゆっくりと鎌倉の裏街道を進んでいくのだ。滑川沿いの道に橋。鎌倉の歴史と逸話と冗談と。笑い声を織り交ぜながら。「写真を撮っている間応援しながら大人しく待ってますから」と言う言葉の通り、私が寺の枝垂れ梅を撮る間、若者は後ろで大人しくしていた。時々、観光で訪れたらしい年配者の夫人たちにからかわれている。「一緒に写真とって頂戴よ」。はぁ、と言うかしこまった声、夫人たちの笑い声を微笑ましく聞きながら、私は枝垂れ梅を撮るのだった。地元に詳しい人力車の俥夫が勧めるだけあって、宝戒寺の枝垂れ梅は見事な景観だった。ちょうど満開を過ぎた頃で、ひらひらと花びらが舞い落ちる。ここは萩の頃も美しいそうだ。
 
  
 

 
 
 たぶん同じ話を人が聞いたら、何十通りにでも解釈できるだろう。私の物語は私の中でもいくつもの解釈が生まれるだろう。
 だけど私は私が欲する物語を選んでいいのだ。たとえそれが間違っていても、真実じゃなくても、不安を覚える余地もなく、それを現実としていいのだった。
「桜の頃も綺麗でしょうね」
 鎌倉駅へと向う道すがら訊いてみる。
「綺麗ですよ~!あと鎌倉で綺麗なのは海です」
「カイドウですか」
「はい。桜が散る間際に咲きはじめるのですが、いいですよ。とくに海蔵寺と妙本寺が絶景ですよ~」
 私は見たこともない花を思い浮かべている。明るく優しい色の花が華やかに咲いて、カメラを抱えた私は桜の花びらが舞い落ちるなか、木々を見上げて歩いている。微笑みながら。または誰かと屈託なく笑いいながら。
「さぁ、姫。最後飛ばしますよ~!」
 京童は速度を上げて、私の体はまた宙に浮かんでは飛んでいく。笑顔が零れた。
 人は自分の現実しか生きられない。物語の主人公に代わりはいない。あなたも。私も。誰に見せるわけでもないのだ。
 楽しく行こうじゃないか。
 
 
 
 
 
 

富士奪還を夢想して ~まつだ桜まつりで空を見る私の巻~

 
 
 
 いつの頃からだろう。景色の先に冨士を見つけると嬉しい気持ちがしたのもだ。電車や車を降り立つと、空を見上げて富士を探した。
 浮かび上がる彼の姿は完全に美しかった。
 太宰治の「富嶽百景」を読んだころがピークだ。その気高さと純真さは私の心を捉えて揺さぶるのだ。私は幸福感に満たされた。
 しかしいつしか富士の存在は私の中で急速に色褪せていく。ときめきと幸福の象徴として取って代わったのは東京タワーだ。都内を歩き、東京タワーを探す私はもう富士に見向きもしない。
 彼は凡庸の象徴となった。もちろん彼自身の所為ではなく、たとえばポストの中に入っていた地元のタウン情報誌の記事。特集として美しい富士山の写真が並び、こんなことが書いてある。父の夢。「旅行好きの父がこう言っていました。死期が近くなったら富士五湖に旅行に行きたい。そうして一日ずつ泊まって、美しい湖の向うの富士の姿を見て逝きたいと」。または高価なカメラと三脚を抱えた中高年の団体。女性ではなく、男性の、必ず富士を好んで撮る彼らや。それから芸術。極端な例を言えば銭湯の絵にあるように。私は年々富士に失望して行ったのだ。富士自身の美にではなくて、人々が崇めるその形式美に。あれは信仰や美しさのシンボルではないかと。そう疑うようになったのだった。
 
 まつだ桜まつり。「桜と富士と大パノラマ」ローカルな地元の駅で見つけたちらしにそう書いてある。神奈川県足柄上郡松田町の西平畑公園で催される早咲きの桜まつりの広告だった。「西平畑公園から見る富士山は関東の富士見百景に選定されています」
 私はげんなりした。またしても富士は安易に扱われている。わかりやすく美景そうで、つい行きたくなるではないか。私はシンボルとしての美景を撮りたい気分だったのだ。今週末は心が折れそうなほど疲れていた。そうだ。これは富士に限った話ではない。
 人々が織り成すところ、いわゆる世間とか社会とかいわれるところは、要するにそういった記号でしか物事を捉えないのではないか。
 物の本質とか、個々の性質とか、そういったものは全く考慮されないのだ。もしくは気付いても、気付かぬように片付けられて、まるで大量生産された工場の製品のごとく処理される。すべてにわかりやすく統一された記号を付けられて。すべては工程のひとつとして流されていく。きっとそういうところなのだ。そんなふうに感じるほど疲れを感じていた。いや、そんなふうな普段ならやり過ごせる「事実」を少しの哀しみと共に感じて、自らの疲れを助長させてしまうほど弱っていた、といった方が正確かもしれない。
 秩序と言うものはそういう記号から生まれるのだ。記号やシンボルを理解できず、あるいは理解できても受け入れて使いこなせないものは排除される。
 わかっているのになぜ今さらこんなに傷ついたり疲れたりするのか不思議だった。とにかく弱っていたのだ。私は捨てばちな気持ちで美の象徴を撮りに松田桜まつりに向った。
 
 
 
 
 
 
 松田駅からシャトルバスに乗ろうとするとちょうど出たばかりだった。次は25分後、今日から始まる桜まつりのために赤いスタッフジャンバーを着た男性が立っている。
「私も今来たんですよ。残念ですねぇ、行っちゃったみたいです」
 布袋さまか恵比須さまのような容貌をして、にこやかに話しかけてくる。
「あと10分ほどで次のバスが着きますから」
 彼は現地のスタッフと無線でやり取りをして教えてくれる。その笑顔を見ていたら心が明るくなってきた。バスはすぐにやって来た。集まってきた家族連れ、ニコンを抱えた恋人たちに老年の夫婦、彼らをどうぞどうぞと送り出してバスが出て行くのをにこやかに眺めている。本当に七福神の使いのようだった。私は錯覚を起こしていく。細く、うねる山道を進んでいくこのバスが向うのは松田山なんかじゃない。乗り合わせて、偶然選ばれた私たちは登っていく。空に近い場所へ。桜が咲くその地へ。上へ、上へ。
 早咲きの桜は松田山全体ではまだ3分咲きと言ったところだそうだが、木々によっては5分咲き以上のものもあり、ずいぶん開花していると言う印象を受けた。思っていたよりずっと咲いていた。私はバスを降りて躊躇した。どちらへ向かえばいいのかわからなかった。降り立ったバス停の場所がもう公園の中心地(芝生広場)だったのだ。想像していたよりも狭く、山道が開けた場所といった感じだったので、そのことに気付かず、まだどこかへ行けば開ける(公園の中心地へ向う)終点があるのだと思ったほどだった。芝生広場の後ろがみかん畑へ続く道、ふるさと鉄道に子供の館に足を伸ばすと自然館がある。左手にはハーブガーデン、ここはラベンダー、セイジ、ミントなど180種類以上のハーブが山の斜面に広がり、一年を通してハーブの香りが楽しめるそうだ。右手にちょっとした噴水広場がありベンチに腰掛けて人々が桜や前方の景色を眺めている。そして前方は足柄の景色が開け、松田山の斜面の遊歩道沿いに桜と菜の花が咲いている。
 私の桜好きは知る人ぞ知る話だが結構なもので、一瞬躊躇した私はそのあと迷わず桜へと向った。他の場所は一通り桜を撮り終わってから周ったのだ。泉のような桜の木々を見つけたら最後、もう目には桜しか映らなかった。桜、桜、桜。胸がときめいた。これも美の象徴でしかないのかもしれない。それでも花はその種類が豊富な所為か、一本の木にたくさんの花を纏う所為か、記号が複雑なのだ。個々の存在が根強く残っては主張している。私は今年初めて見る春桜たちを目の当たりにして、幸福感に満たされた。来て良かった。
 すっかり富士のことは忘れている。
 
 
 
 
 そのことに気付いたのはみかん畑を散策している時だった。
「今日は富士山が見えないね」
「残念だねぇ」
「富士山が見たくて来たのにね」
 休憩スペースに腰掛けていた老夫婦が呟くように話している。
 そう言われれば、足柄の景色の先には山々が見えたようだけど、富士らしき姿は見ていない。今日は曇っていて、時々陽が射す程度、周辺の山の姿さえ怪しいほどだった。
 そうか、今日は富士が見えないのか。
 私はなぜか安堵した。今ここで富士の姿を見ていたら、やりきれない気持ちになったかもしれない。くそくらえ、と富士に八つ当たりしてしまったかもしれない。
 桜を一通り見終わって満足した私は西平畑公園を見て周っていた。桜まつりはにぎわっていて、特設会場に露店やお土産やが並んでいる。小腹が空いた私は私はそのひとつでまんじゅうを買ったのだが、弱っている所為か、人々の対応がやけに堪えた。地元スタッフはもう布袋様には見えない。中年男性は興味深げにじろじろと顔を見る。ぶしつけなほど露骨なのだった。そのことに気付いた横にいる連れの女性(スタッフ)は私と視線を合わせようとしない。見てはいけないものだと彼女は記号を認識した。他の店でも同じだった。みかん畑でわけありの特売みかんを買ったころには桜から授かった私の高揚感はすっかりしおれて、ここに来る前と同じようにくたびれた顔つきに戻っていた。
 私は上へ上へと登っていく。みかん畑のゆるやかな坂道、曇り空からは優しい日差しが降り注いでいる。いつしか歩いているのは私だけだ。ひとり松田山から小さな町の景色を見下ろしている。音楽が流れていた。まつりのせいだろう。どこかスピーカーからヒーリングミュージックのような優しいメロディが聞こえてくる。空を入れてみかんを撮ろうとして、ふと上空にパラグライダーが飛んでいるのを見つけてしまった。悠々と、色鮮やかなキャノピーが決して晴れ渡ってはいないくすんだ空に浮かんでいる。悠々と―
 
 
 
 
 
 
「いい写真は撮れましたか?」
 そろそろ帰ろうとして桜の遊歩道へ向いかけたとき、芝生広場で男性スタッフに声をかけられた。
「いえ、ボチボチです。今日は天気もこんなですし」
 同じ質問をされると私はいつもこの返事をするようにしている。ボチボチですと。どんなに良く撮れたと思った日でも、ハイよく撮れました、とは言い難いので謙遜として使うのだった。「富士も見えませんし」
 しかし今日は謙遜が過ぎて先ほど聞いたばかりの老夫婦の呟きを使ってしまった。相手はまつり会場のスタッフだ、この場合は「いい眺めなのでいい写真が撮れて良かったです」というべきだったのだろう。くたびれた私は反射的にいつもの台詞をもらし、今の記号を認識できていないようだ。
「そうですね。じゃあいいことを教えてあげましょう」
 人の良さそうな風貌のおじさんはよほど正確に使いこなしている。売店のスタッフと同じように、だけどバス停の布袋様を髣髴させるにこやかな笑顔を浮かべて、自分が絵に書いた景色の見取り図を取り出した。
「ここが水平線、いつもなら大島が見えます」
「ああ、あれは水平線だったんですね」
 どうやら私は雲に隠されうっすら浮かんだ景色の果てが地平線だと思っていたようなのだ。
「そうそう、水平線です。大島の横には富士山。今日は見れなくて残念ですが、ここはいいところですよ。桜の時期以外も、とてもいい景色です」
 おじさんは決して押し付けがましくもなく、子をあやすように、優しく言う。
「写真を撮られて、いい趣味があっていいですね」
 いい趣味を持つ私は地平線か水平線かも確かめようとはしていない。富士があるかないかも見ようとはしていない。忘れていたのではなく、無意識的に見つけないようにしていたのだろう。山々の景色の方向を、富士を避けていた。
 私は自分に恥じ入りながらも、この役割として与えられた記号を満足とせず、同情を跳ね返すのだった。
「いえいえ、素敵な絵を描かれて、いい趣味をお持ちじゃないですか」
 あなたこそ、とばかりに相手の絵を指し示して微笑んでみせる。
 おじさんは一瞬にこやかな顔をくずして、ちょうど通りかかった他の来客者たちに声を掛けるのだ。「ほら~ロマンスカーが見えますよー!」
 
 富士を求めて景色を、桜を、見にまつりに来ているのは家族連れ、恋人同士、老夫婦、中高年の仲間たち、写真を撮り始めて、いつも目にする光景。いつもと同じシンボル。
 どれにも当てはまらない私はひとり桜と格闘している。少しでも綺麗に。少しでも美しく。象徴としてではなく、シンボルとしてでもなく、もちろん記号でもない、本物の姿を少しでも焼き付けたくて。少しでも上へ。上へ。いつかあのキャノピーが舞う場所へ。
 
 
 
 
 
 
 帰途へ向う私はまたしてもはぐれるのだ。よく道を間違える私だった。松田駅に向っていたはずなのに、現われたのは寺だった。いつしかひとり延命寺の参道を歩いていた。
 右手に墓場が広がっていた。いつか私はここに眠るものたちと同じ場所へ辿り着く。その日まで頑張ろうとはどうも思えず、こんな日の帰り道に寺に行き着くとは縁起が悪いような気がしてしまう。境内の梅の花になぐさめられて、寺を後にし、県道72号線に飛び出すと、横の道からちょうど年配の女性達の団体が歩いてくるのだ。もしも私が別の記号だったら交わっていたであろう様子の彼女らは、たまたま近辺の工場か何かで働いていて一斉に帰る時間帯だったのか、連れ立って隣の道から出てきたのだ。まるでそれが本来の公園からの帰り道で、迷子ではない帰り途中の来客者たちのように。
 墓場を見た私はそれほど落ち込むこともないと思い直す。道を間違えて寺の参道を歩いていたってそう悪いことじゃないだろう。仏と梅によけいに出会っただけのことだ。
 来週末はいい天気だろうか。私は思いを馳せてみる。
 青い空が見えたら、富士を撮りに行こう。