彼岸花の恋 

 
 
 
 彼岸花。梵語で曼珠沙華(マンジュシャカ)。妖しく、美しい花。哀しみの花。どこか禍々しい匂いを漂わせる花。
 私はこの花を観念として捉えている。正式な意味も由来も知らなかった。季節はめぐり、またこの花の季節が訪れ、たまたま撮影会に参加することになったので、またはネット上のコメントに興味を持ったので、ふと意味を調べてみる。
 
 
 ヒガンバナ  ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋
 特徴 
 全草有毒な多年生の球根性植物。散系花序で6枚の花弁が放射状につく。
 有毒性 
 鱗茎にアルカロイド(リコリン)を多く含む有毒植物。誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたる。水田の畦(あぜ)や墓地に多く見られるが、これは前者の場合ネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、後者の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐため、人手によって植えられたためである。
 名前に関わる話 
 彼岸花(ひがんばな)の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。上記の飢餓植物としての面から一考する価値はあると思われる。別名の曼珠沙華は、法華経中の梵語に由来する(梵語での発音は「まんじゅしゃか」に近い)。また、"天上の花"という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである。国内には、曼珠沙華と称するカルト新興宗教団体も存在する。 万葉集にみえる"いちしの花"を彼岸花とする説もある。「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」(11・2480)異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもある。しかし、そのような連想が働かない欧米を中心に、園芸品種が多く開発されている。園芸品種には赤のほか白、黄色の花弁をもつものがある。日本での別名・方言は千以上が知られている(中略)。おそらく国内で、もっともたくさんの名を持つ植物であろう。
 
 
 そもそも彼岸花はその有害性から虫除けのためや死人を守るために人の手によってあぜや墓地に植えられた、そのくせ仏教の経典では天上の花と意味されている。思わず感心した。漠然とした想いを言葉に置き換えられ、論理的に説明されて、納得したような感じだ。禍々しい毒性と崇高なる天上の花、矛盾した解説は全く論理的ではないのだが、その矛盾そのものこそが彼岸花であるといわれたような気がした。神秘の花だ。そうして、私にとって死や天(死後の世界)はまさにそのものであって、いつでも彼岸花に惹かれる想いは妖しく、禍々しく、神秘的なものなのだった。避けて通れないもの。必要不可欠なもの。有毒で、崇高なもの。曼珠沙華。恋と同義語なのかもしれない。
 
 
 大船の植物園に彼岸花を撮りに出かけた。
 本来は彼岸花を撮ることが目的と言うわけでもなく、数人で花でも撮りに行こうか、と言う主旨の集まりで、季節だから彼岸花もいいかもね、と言った雰囲気ではあった。しかし、私の中では目的は彼岸花に限定されている。いつでもこの季節になると打ちひしがれる。私が惹かれるほどに、美しく撮れたためしがないのだった。
 今年こそはもう少しどうにか撮ってあげたいなぁ。そう考えている。私は大船に勇んで出かけて行く。
 大船の植物園も初めてならば、大船駅で降りたことも記憶にない。東海道線で通ったことは何度もあるが、果たして降り立ったことはあっただろうか。記憶を辿りながらホームを降りて、階段を上ると、改札を出る前に目当てのトイレを見つけた。撮影前に必ず行っておかないと集中が出来なかった。最近の新しい駅は改札の出口によってトイレがないところも多い。ほっとした。改札を抜ける前にショップもカフェもある。意外と開けているようだった。集合時間にはまだ間がある。私は改札を出て、階段を降りたところに備え付けられた円形のベンチに座って一服をする。数名の同類がのんびりと煙草を燻らしている。深呼吸をした。リラックスしているのがわかる。複数の人と会い、行動を共にするということの免疫が薄い私にとって、このような一連の儀式が大事なのだった。僅かなことがひとつでも狂うと、もちろん僅かなことなのでその場は我慢してことを進めることは可能だが、しかし小さな圧迫が生じる。自分を保ち、リラックスして過ごせる最低限のメンタルレベルが少しずつ綻び、対人関係による圧力が少しずつ加わって、微妙な狂いが加速してくるのだった。
 大船は相性がいい。そう結論付ける。良かった。幼い頃、母が里帰りする時に通りかかった町、夜にライトアップされて浮かび上がっていた大きな観音様がふと見えた。懐かしい。私は観音様に軽く手を合わせて、お辞儀をした。幸先が良さそうだった。今日はリラックスして、楽しく過ごせそうだ。良い(私らしい)彼岸花の撮影ができそうだった。神様はいるかもしれない、不思議とそんな考えが頭をよぎる。 もちろん神はいるだろう。だが、私の神は気分屋なので、なかなか出てこないこともあるのだ。
 
 集合時間ちょうど位に待ち合わせた相手と落ち合って出発する。まずは3人、植物園の前で6人になる。ちょうど居心地のいい程度の人数。軽く会話をして、すぐに解散。各自園内を気ままに歩く。好きな場所を撮影し、途中で落ち合えばまた会話をする。全員での集合はお昼のランチタイムまでない。付かず離れずのゆるい感じも良かった。私は好きな相手になかなか向かえず、そちらを気にしながらも友達とばかり喋ってしまう女子学生のように、真っ先には彼岸花に向わないのだ。まずは園内を一周して、他の花を見て歩く。試し撮りもしない。そうして、ついに勇気を出して、誰もいないところにひっそりと咲いていた白い彼岸花を写すのだった。
 結果は惨敗。どうも良く撮りたいと気負いすぎたのか。リラックスしていたはずなのに、彼岸花を前に緊張していたらしい。それからはお喋りしながら、楽しみながら、撮ることにする。もちろん美しく撮ってあげたかったが、そうこだわらないことにする。まずは一年に一度しかお目にかかれないこの花との再会を楽しまなくては。
 園内も出来る限り歩いて、雰囲気を写し取る。今日がいい思い出になりますように。
 
 
 
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 全員でランチを食べてからまた撮影を続ける。予定は4時だったので、時間は充分ある。私は彼岸花にまたチャレンジする。
 今日の彼岸花は明るかった。禍々しさも、妖しさも感じさせない。かと言ってその魅力を半減させるわけでもなく、相変わらず美しく、私に向って微笑みかけている。
 「これからはすべてがうまくいくんだよ」
 まるで彼にそういわれているような想いがした。
 私は太陽のように眩しい彼岸花を撮り続けた。時間の限り、ずっと撮り続けていた。
 見守るように。見守られるように。
 哀しい恋は終わったのだ。
 
 
 
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浅草、その人生の露地裏に恋して

 
 
 
 本郷で迷子になって以来、心にも迷いが生じた。どうも下町に行く気にならない。今週末は巣鴨に行こうかと思っていたが、台風を理由に準備を怠った。寝込むつもりでいる。
 ところが天気予報が外れたのだ。昼から去るはずのヤツは、目覚めと共に消えていた。困った。心をシフトチェンジできないまま二度寝をし、起きると正真正銘の昼だった。もちろん太陽が出ている。
 もう遅い。こんな遅くからおばあちゃんの原宿に行ってどうするのか。すでに銭湯と夕飯の時間だろう。しかも台風明け、誰もいやしない。めんどうくさい。大体なぜ下町めぐりをしているのか。ちい散歩じゃあるまいし。ブームだからか。などなど、スタートのずれから心のずれはどんどん広がり、自問自答は最終地点までたどり着く。
 何で写真撮ってるんだっけ。
 今日は行かない、と決め込む勇気もなく、しぶしぶと家を出る。ふと心に灯る。「ならば浅草へいこうか」
 漠然と巣鴨に行くなら、浅草へ行きたい。
 私のここ最近の下町ブームは、浅草から始まったのだ。原点だった。大好きな浅草ならば、心の迷いも吹き飛んでくれそうだった。山手線に乗り換えようと渋谷駅に降り立った私は、今降りたばかりの地下鉄に乗りなおす。浅草へ!心の灯はどんどん大きくなっていく。
 
 浅草は路地が多い。TBSドラマ、あんどーなつを見ていると、あらゆる魅力的な路地が出てくる。正確には○○通りという商店街の通り名なのだが、浅草の場合「路地」と言う表現の方がぴったりと来るようだ。私は地下鉄の中でガイドブックを広げる。伝法院通り、浅草六区通り、六区ブロードウェイ商店街、五重塔通り、初音小路、たぬき通り、食通街、雷門柳小路、そして中央通り。これらの路地を撮ってみようか。その狭い道々の特徴的な姿を、または自分がそう感じた姿を。行き当たりばったりの思いつきは想像以上に面白いように感じられ、いてもたってもいられなくなった私は飛び出すように地下鉄を降りた。雷門通りにはいつものように人力車が並び、先頭のそれには白無垢の花嫁と紋付の花婿が笑っているのだ。本物か、モデルか知らぬが、どうも幸先が良い。仲見世に突入した。
 
 
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 通りを歩いて特徴を捉えようと、いつもよりじっくりと町並みを眺めている。 情緒ある和の店が並ぶ雷門柳小路、中央通りからはつくだ煮や鰻のいい匂いが漂う。浅草にしては現代的なオレンジ通りに、まるで屋台のような長屋のような商店が並ぶ伝法院通り。六区通りとブロードウェイ商店街は大衆演芸場に名画座に娯楽施設が立ち並び、大衆娯楽街の浅草の象徴としてその個性を放っている。ローヤル喫茶店さんで休憩して、浅草寺へ向う。まだ夜の帳は下りない。浅草、浅草寺のライトアップされた夜景、そして浅草の路地の夜景、今回の思い付きとは別に、このふたつは私の念願だった。なかなか夜に浅草に行く機会がなかっただけに今回に期待している。
 
 
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 仲見世に戻って浅草寺へ。相変わらず美しかった。お参りをして早々に引き上げる。またライトアップされたら戻ってこようと決めて、その前に路地めぐりを続けるのだ。だいぶあたりは薄暗くなっている。
 どの道も人通りが多く、賑やかだった。休日ともなれば、多くの観光客が訪れるのだろう。日本中から、世界中から。浅草はやはりすごいな、とあらためて思う。ここは日本を象徴する観光地だ。「日本らしさ」を残した最後の、そして最大の。最高の歓楽街だ。
 しかし、その考えはいい意味で裏切られる。花やしき通りを抜けて、芸術的に美しい初音小路と、それからついに暮れた景色のなかの西参道を歩く頃には。浅草は日本情緒を残した最大の観光地だとしても、そこに付随される明るさが皆無なのだった。路地が似合う町だけある。夜の浅草はがらっと表情をまた変えていく。
 新宿のようだと思った。私は初めて就職した場所が新宿だったせいか、良く怪しげな歌舞伎町近辺にも遊びに行った。もちろん妙な遊びではなく、そのやばそうな街の雰囲気を、スリルとして楽しんでいただけだ。浅草の夜の町並みのネオンを見て、私はその頃の新宿の夜景を思い出したのだった。
 これは私の好きな景色だ。新宿に似た怪しい町だ。人生裏通りの町。なのに堕落していない。性と金の匂いがしない。退廃と、色と、虚栄と。そういうものがない。浅草の場合は、同じく怪しい人生の裏通りを感じても、新宿のような薄っぺらさを感じさせないのだった。
 
 
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 ここにいる人たちはたとえ身を持ち崩していたとしても、本気でそんな人生を遊んでいそうだ。芯が一本通っていそうだ。真髄を知っていそうだ。惚れた欲目か、私は浅草という町をそんなふうに感じ、まるで墨田公園にいる浮浪者までもが美学を持っているように思えてくるのだ。
 私は目に入る景色がすべて愛しく、夢中でシャッターを切るのだった。ところで私は下町好きだと思っていたが、もしかしてただの浅草好きなのではないか。浅草が下町だから、浅草好きイコール下町好きと思い込んでいたが、ひょっとしたら思い違いだったのではないか。私が浅草を好きなのは、決して下町だからだけではない、初めて、今さら、そう気付かされた。
 私は中央通りの煙草の売店の前で一服をする。愛しい町並みを眺めながら。痩せた男がにやけた笑いを張り付かせて寄って来た。
「スイマセン、タスポ持ってますか」
 髪を立たせ、光沢のある細く黒いスーツを着て、鼻ピアスをしている。
「あ、ハイ」
 私は男にtaspoのカードを渡した。私は使ったことがないのだった。これがないと自販機で煙草が買えなくなると言うので万が一のために作るだけ作ってずっと財布にしまっていて、そうして今鼻ピアスの痩せたこの彼が私のカードを使う第一号となるのだった。もちろん使い方さえ知らない。私は彼が使う様をじっと見つめた。
「スイマセン、どうもどうも」
 男はまるでそれが礼儀であるかのように、カードを受け取ると表にした。私の名前と顔写真が現われ、それを上にして、自販機にかざす。かざした部分と煙草を選ぶボタンに灯りがついた。にやけながら頭を下げてカードを返す。また確かめて、私の顔を上にしていた。千円札を入れるが、入らない。もどかしそうに何度も差し込む。やっと入ると、おっ、と思わず声を出す。ボタンを押して吸いたい煙草を手に入れる。私は急いで体の向きを変えて、何事もなかったように煙草を吸っている。サラリーマン風の男がふたり、煙草を吸いにやってきた。自販機の前の灰皿が目当てだ。話をしながら火をつける。きっと彼らの職場は夜の歓楽街だろうと想像する。鼻ピアスの痩せた男がサラリーマンと私の僅かの間を割り込んで通り過ぎる。にやけながら大きな声で言った。
「ありがとうございました」
 私の顔を見ていたが、感じた視線のほうには顔を向けないのだった。目を合わせず、「どういたしまして」とそっけなく言う。
 男はもう通り過ぎている。痩せた体をひらひら揺らせて、中央通りのネオンの中に消えて行く。
 
 
 
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本郷のストレイシープ 

 
 
 
 夏目漱石、正岡子規、坪内逍遥、樋口一葉、二葉亭四迷、石川啄木、宮沢賢治、川端康成、泉鏡花、これら文学者のゆかりの場所が多いせいか、東京大学本郷キャンパスがあるせいか、本郷はどうも敷居が高い。バカが行くとバカにされそうだ。下町のガイドブックにこうある。「東京を代表するアカデミックエリア」。
 行けばあやかって頭が良くなりそうだ。どうせならバカにされてもご利益を賜ろうと意気揚々と出かけていく。
 東京メトロ「本郷三丁目」で降りて、まずは湯島天神(湯島天満宮)へ。
 
 

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 下町らしく懐かしい雰囲気の店も多い春日通りをふらり歩いていくと、ふいに真白い大きな鳥居が現われる。異次元に迷い込んだかのような不思議な感覚にとらわれながら鳥居をくぐると、坂を上がってすぐ左手が湯島天神だ。銅製の表鳥居の先に1995年に再建されたと言う総檜造りの社殿が見える。湯島天神は古来より江戸、東京の置ける代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真を祀っている。ますます頭が良くなりそうだ。私は念入りにお参りして、ついでにおみくじも引いてみる。「末吉」。凶の一個手前じゃん。願い事→すぐではないがいづれ叶う、待ち人→遅くなるが来る。と言った具合にどうも吉事は末の話のようだった。菅原道真の和歌が書かれていたが、意味はわからずともどうも芳しくない歌のようだ。語調が暗い。丁重に折って、梅の花が表になるように木にくくりつけた。
 

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 駅に戻って本郷通りから菊坂へ向う。このあたりはかつて菊畑が多かったことから菊坂と名付けられたそうだ。近辺には宮沢賢治や樋口一葉など、文学者の居住跡が残っている。私好みの古い家屋も多い。一軒も見逃さまいと目を皿のようにして歩く。手にはガイドブック、おのぼりさん丸出しだが構いもしない。いつか気取ってガイドブックをリュックにしまったまま散策したら、見たいポイントを見逃して、帰ってから悔しがったと言う前歴がある。
 
 
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 樋口一葉が生活費を工面したと言う伊勢屋質店さん、路地の奥にあるゆかりの井戸、梨木坂、宮沢賢治居住跡、鳳明館、などを見ながら東大正門前にたどり着く。ついにアカデミックエリアの総本山だ。どきどきした。中に入っても大丈夫なような話は耳にしていたが、正門を目の前にして勇気が出ない。当たりは頭の良さそうな若者ばかりである。回れ右して、赤レンガの建物を眩しく眺めながら本郷通り沿いを歩いていく。赤門にたどり着く。ここでも勇気が出ず、ただあきらめて写真を撮っている。学生にしては年を重ねた年配の男性が門の奥のベンチに腰をかけている。いや、ああ見えて教授かもしれないと思い直す。そのうち外人の団体が出てくる。どうも観光客に見えるようだ。次に軽装のご夫人ふたりが出てくる。「下町」と書かれたガイドブックを手にしている。ここでやっと、「あ、入ろう」と勇気を頂く。私は赤門をくぐって東大キャンパスに乗り込んだ。
 
 
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 何故か頭の中に歌が流れるのだった。「ツタノカラマルチャペルデ~♪」と繰り返し。学生時代という古い歌である。私はあの歌を好んで良く口ずさんでいた。そのたびに、自分の学生時代とは違うと思い知り、しかし郷愁を覚えるのだった。今ならいいかもしれない。私は鼻白む思いやこっぱずかしさや懐古趣味に捕らわれず、思う存分頭のなかに歌を響かせる。
 東大キャンパスは魅力的だった。すべての建物が古く、美しい。そして、三四郎池と呼ばれるひょうたん池には思わず絶句した。私は恥ずかしながらこのような美しい池を見たことがない。そう確信した。まるで学生のようにベンチに座って安田講堂を見上げる。私がもし、受験戦争に敗れた浪人生ならば、この美しい講堂を目の当たりにしただけで、絶対に来年は受かってやろうと決意するだろう。やはり東大は凄い、東大バンザイ。
 そう思いながら、さて、帰ろうとして、道に迷った。歩けど、歩けど、正門にも赤門にもたどり着かない。バス停が現われる。首を傾げて更にめくらめっぽうに歩き回る。どうやら大学病院の方向、医学部の研究棟や動物実験室があるあたりを彷徨っていたらしい。この界隈は景色が一変する。古い建物も美しいとは思えない。蔦に覆われ、朽ちて、まるで廃墟のようであった。カラスが飛交う。窓から白いカーテン(病棟か実験室か)が見え隠れする。中には人体模型、または内臓がホルマリンに浸けられた瓶でもずらっと並んでいそうだった。どうも薄気味が悪い。
 
 
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 私は出口を探す。幸い構内に入る業者向けらしき標識が見つかり、案内されるまま急ぐと、竜岡門から構外へ放り出された。思わずため息を吐く。
 本郷も かねやすまでは 江戸のうち 
 と言う川柳がある。かねやすと言う基準は変わっても、商人、職人の町、庶民の都下町、現代の東京に江戸情緒や人情を残す町、そんな下町と本郷はすでに遠いところにあるように思われた。いや、下町は下町でもその範疇に収まらない。次元を超えている。私にはやはり敷居が高かったようだ。親しみと言うよりは、憧れや尊敬、畏怖の念を覚えた。こんなふうに、元来の姿を残しながらも歴史と共により昇華させて在り続けたらいいだろうと。そんなことを思いながら。本郷の締めは名曲喫茶の麦さんで。少し怪しげな、地下階段を降りて。柄にもなくクラシックを聴きながら。カレーライスと珈琲を頂いて帰途に着くのだ。湯島の鳥居を超えてからずっと残っていた不思議な感覚は、丸の内線のホームに着くまで続いている。
 
 
 
 
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神からの賜りもの、考えると言うことについて。

 
 
 
 
 私は今日の本郷訪問の体験記を書きたいのだ。何も思考をはさまずに、見離した視点で書こうと思っているのだ。
 しかしその前に、考えすぎるのはなぜいけないのか、考え抜いて答えを見つけることこそが善であるかのような、白々しい文章を読んだので反論したい。
 体験記はまたしても深夜になりそうだ。日課のマラソンをし、行きつけのサイトに入り浸って、お風呂に入って、のんびりしてからでも遅くはない。
 
 
 大抵の人間は他人が思うよりよほど多くのことを考えている。多分、私よりも他人はよほど思索家だろう。
 元来、考えることは楽しい。頭を使うことは、人間の知的欲求を満たし、生きることの意義となり得る醍醐味のひとつだ。
 しかし、多くの人間は考えると言う楽しさよりも、その行為を恐れると言う本能に打ち負かされる。考えた末に得た答えは、自分にとって都合のいいものばかりではない。自分が今まで無意識に行っていた行為や言動が、あまり良質ではないという事実まで知ってしまう。
 たとえば刑法であるように、もしも自分の行いが無意識であり、行為の結果を予見できなければ、それは過失だ。しかし、もしも、その行為によってどういう結果が生じるか知り得たならば、それは故意であり、罪だ。
 人は知らないでいたい。自分が罪人とは思いたくない。出来れば自分に都合よく生きていたい。
 そうして、大抵の人間は、元来罪人なのだ。
 
 それでも考えると言う行為を恐れずに続けることが出来るものはふたつのタイプしかいない。
 すなわち、考えて得たことによって、自分や他人の悪意(またはあまり芳しくない思想や行為)を操ることが出来るもの、都合のいい時だけ無意識を装ってそれをコントロールしては人生において自分の武器に出来るもの。そうしてもうひとつは、考えた末に知った自己の罪を反省し、他者の罪を受け入れ(たとえ赦す事は出来なくても受け入れ)、正しい方向へ導いていこうとする求道者と。
 前者の多くは知識人となり人生の成功者となる。後者の多くは一生貧乏でたわ言ばかりをほざいているでくの坊とされる。宮沢賢治やドストの白痴に出てくるムイシュキン公爵を思い浮かべてもらえればわかりやすい。
 この二者はしかしいいのだ。お互い似たもの同士だし、相手の手の内を知り尽くしているので、衝突はしても、根本の部分でわかり合い、許し合える。
 困るのは、考えることをやめた多くの善人である。彼らは恐れる。自分の中の考えると言う行為も、強いてはそこから得られる事実も。それを他人の中に見つけることも。彼らは考えすぎるものに出会うと、またはそういうものを見つけると、無意識に跳ねつける。相手こそが「異常に考えすぎ」と断言し、自分は何も知らない、と突っぱねる。考える相手と自分とは、違うものだ、と思いたがる。彼らは心の平和を保って生きていたいのだ。
 そうして、考えぎた人間は、たとえ考えると言う行い自体が良いことであろうと、楽しかろうと、苦行であろうと、そこから得る答えがかけがえのないものであろうと、そんなことは問題ではなく。
 彼らは多くの他人との間に、垣根を作ることになる。
 彼らは垣根を恐れて自分の考えていることを安易に口に出せなくなり、自分が思うままに振舞えなくなり、そのことによってなおさら、相手との間に垣根を積み上げていくのだ。
 考えた末に見つけた答えと引き替えに、深い、深い、孤独に陥っていく。
 
 私は考えすぎることが悪いことだとは思わない。
 しかし、それをとことんまでやり続けるには友を見つけることだ。
 あなたを恐れない、賢者か愚者か、何者でもかまわない、そういう友がもし見つかればいいだろうと願う。
 そうすれば、答えを見つける前に孤独によって破滅することもなく、あなたや私の考えることは、最高の、神からの賜りものとなるだろう。
 
 
 
 
 

谷中再訪。

 
 
 
 マーシーがアムウェイを始めた。
 当時、アムウェイは友人に売ると倍々式に収益が増やせると言うわかりやすいアメリカンドリームを提案し、若者に絶大な人気を博していた。人海戦術マルチ商法だ。
 理論としては良く出来ていた。人と人とを繋げ、繋がった人が誰かとまた繋がり、各自が人脈をどんどん広げていけば果ては世界はみな兄弟、と言うかのような方程式は、理想郷の実現となりうるものだった。それに商売さえ絡まなければ。
 完璧だった。私はマーシーの人脈に誘われて、講習を受けに行った。
 人当たりのいい、笑顔の上手なディストリビューターが言った。
「あなたの夢は何?アムウェイに入れば叶うわよ」
 確かに説明を聞くとビジネスは成功しそうに思えた。しかし私は夢がお金で買えるかのような彼女の物言いに不快感を覚えた。
「私の夢は幸せになることです。お金とも社会的な成功とも限りません」
「幸せになるにはお金も地位も必要でしょ」
「自分で幸せだと感じられれば、貧乏でもいいんです」
 私はまだ若く、二十歳そこそこで、自分の人生を幸せだと実感出来ることは少なかった。そのことが私を苦しめていた。ビジネスでの成功が、お金が、その実感を与えてくれるとはどうしても思えない。空虚さが埋まるわけがない。そう判断して語気を荒げた。女の人の温和な表情が夜叉のように変わって、結局私は追い出されるようにその場所を後にした。帰り道、仏頂面の私。マーシーは講習を台無しにした友人を怒るでもなく、「○○(私の名前)、面白ぇ」とゲラゲラ笑っていた。
 

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 先日、谷中巡りをした際に「谷中銀座」を見逃したのでリベンジに出かける。
 日暮里を降りて、谷中墓地を通り越して、夕やけだんだんへ向う。ここの夕焼けを撮ってやろうと思うのだった。
 階段上から見下ろすと、谷中銀座に向って夕陽が沈む。下町、夏の終わりの夕焼け色、長い影法師、それらが趣き溢れる情景を創りあげてくれるはずだ。私は手っ取り早く、誰からも共感を得られるような、絵になる写真を撮ってやろうと計画する。悪くはない計画のはずだった。
 まだ陽が沈むには時間がある。私は谷中銀座を物色する。懐かしい雰囲気の商店が立ち並ぶ。のんびり歩き、すべての店を見て、商店街の終いまで行くとまた戻り、惣菜屋さんでコロッケと焼きおにぎりを買った。夕やけだんだんの階段脇の花壇に腰をかけ、通行人に背を向けて、食べる。前のフェンスの向こうでは黒猫が3匹、気持良さそうに眠っていた。
 

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 夕暮れが迫っていた。しかし、陽は雲の中に沈んでいく。私はまだ焼けていない空を急いで撮り始める。このあとはただ暗くなるだけだと悟る。
 

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 唯一、逆光の中の長い影の絵を撮れただけだった。まだ空は明るい、陽が隠れた頃、思い出したようにカラーに変えてみるがやはり夕焼け色は映らない。 
 

 物事はそうそう上手くはいかない。

 マーシーは散々アムウェイに注ぎ込んだ挙句、貯金を使い果たした。金がなくても成功しなくても幸せだと感じてやるとたんかを切った私は彼女から包丁を買ったばかりで何の貢献もできず、彼女の人脈をひとりも増やしてあげられず、相変わらず幸せだと感じることは出来なかった。
 
 
 財布から小銭を出して谷中銀座入ってすぐの飴屋さんで懐かしい菓子を買う。あんこ玉とたべるきなこと黒ぱんと。それが私の今週末の撮影旅行の自分へのねぎらいだった。
「夏は飴は出ないから作らないんですよ」
 と飴屋さんの店主らしき人が言う。「今は棚が埋まらないからジュースの瓶とか、レコードジャケットとかあるけど、冬はもっといろいろな飴で店中溢れるから。また寒くなったら宜しくお願いします」
 言われて見ると、やけに陳列棚が寂しい。古いロックのLPが飾ってある。どうやら私のカメラが気になっているようだった。
 やっと薄暗くなりかけた谷中を駅に向って歩いていく。夕焼けが撮れなかったおかげで物足りなかった。このまま帰るのもつまらないような気がする。後ろ髪を惹かれる思いで、コンビニの前で一服していると、横に立っていた中年に近い男が声を掛ける。
「いいの撮れましたか」
「まぁ、ボチボチです」
「どういうものを撮っているんですか」
「この辺の夕陽が綺麗だと聞いたので」
 夕陽ですかと不思議そうに首を傾げる。チョコレートがコーティングされたアイスを食べながら、また訊く。
「どの辺から撮りに来るんです?」
「神奈川です」
「神奈川ですか!神奈川ならもっと夕陽のいい場所あるんじゃないかなぁ」
「ええ、そうですが。ここの夕陽が撮りたかったので」
 そうですか、とまた不思議そうになる。気まずい雰囲気のあと、お先にと言って駅へ向っていく。私は同じ返事を2回言ったようだ。「夕やけだんだんの夕焼け」を撮りたかったのだとはっきり言ってあげれば良かったと後になって思う。
 
 
 失敗して、とことん失敗して、絶望感に満たされ、押しつぶされる、と言うことは少なくなった。今はない、とはっきり言ってもいいかもしれない。なぜなら、たとえ今どんな状況であろうとも、その状況を肯定できることこそが、いつかの私の「夢の実現」であったと思い出したからだ。
 いつかマーシーがゲラゲラ笑っていた日に見ていた夢の、究極のその実現は、今だ。
 転職して良い収入を得ることでもなく、世間から敬意を受けることでもなく、永遠の愛を今こそ手にすることでもなく。今どんな状況であろうとも幸せだと感じることが出来なければ、それは同じなのだった。私の目標は叶うことはない。永遠に満たされることもない。
 
 

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 私は駅から左に反れて谷中霊園へ向っていく。どこまでも続く墓地の墓石と道。外人ふたりが熱心に写真を撮っている。誰かが何箇所かに分けて置いたシーチキンの餌を、猫とカラスが奪い合っていた。カラスは嘴にくわえられるだけ目一杯シーチキンをついばむと、羽を広げて墓石の後ろに飛んでいく。板塔婆の上のカラスは横溝正史の映画に出てくる絵のように不気味だった。カメラを構えると、餌をくわえたまま逃げていった。気がつくと猫も外国人もいない。私は墓地の中にひとり、墓に刻まれた文字を他人事のように眺めている。境を越えて、この中に眠るたくさんの遺骨と同じところにたどり着くまで、あとどれくらいの月日が残されているのだろうかと考えている。
 
 
 
 
 
 

「さぁ、大幅増税時代の幕開けに乾杯☆」  ~福田内閣メールマガジンを見て~

 
 
 
 「あなたとは違うんです」が流行語大賞の候補になっているとかいないとか。
 「安倍前総理のケースとは違います」とか、どうも唯一無二の自分の進退や心情をあっさり一般化されてムカついていたような節も見られた福ちゃんの退陣劇、「退陣表明した福田首相は無責任」と批判する意見は78%に上り、若い世代から厳しい目が注がれているのだそうだ。面白がってるのか、怒っているのか良く分からぬ。
 ところで今日面白いものを目にした。
 福田内閣メールマガジン第46号が届いて、タイトルはもちろん、「ありがとうございました。福田康夫です。」
 内容を読んでみた。(おヒマな方いらしたらどうぞ)
 
 
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「ありがとうございました。福田康夫です。」
 
 ありがとうございました。福田康夫です。
 日本の古人の好んだ言葉に、「永遠の今」という表現があります。
 「過去のものは古いと蔑み、今のものは新しいと愛でる、しかし今の新し
さが真に新しければ、その新しさは必ず時間を貫いて、いつまでも新しい。」
 1万年前の人類は、今と全く同じ太陽を見ています。海辺へ打ち寄せる波
は一つとして古いものはなく、常に新しい波です。千数百年前の日本人と今
の日本人は、今も昔も変わることのない、常に新しい伊勢神宮を見ています。
 太陽と海と伊勢神宮、この三つは、宇宙、自然、人が創ったもの、この違
いはありますが、永遠の今です。
 私は、政策を立案する際、この「永遠の今」を想うことがありました。
 万人にあたたかい政策を途切れさせてはならない。万人のために常に新し
い政策を提供しなければならない。政策が決して古くならないよう、いつも
新しくあるよう、手入れを怠ってはならない。
 政策としてのアンサンブルが「永遠の今」を奏でている、このことを決し
て忘れてはならない、と思ったからです。
 立場上、政治とは何かとよく聞かれますが、「当たり前のことを当たり前
に誠実に積み重ねていく」、常にこう答えています。
 国民の皆さんに提示し、そして実行する政策は、今だからこそ必要な即効
性に富んだもの。近い将来に有益なもの。10年未来、100年未来の日本
と日本国民に寄与するもの。そして、日本だけではなく、諸外国との関係を
よく考慮したもの。
 政策にはアンサンブルが求められる、これが必須の条件だと考えています。
 私は、月曜日、総理大臣の職を辞する決意をいたしました。それは、国民
の皆さんのための政策をより力強く進めていくためには、新しい体制を整え
るべきであると考えたからにほかなりません。
 この1年間、メルマガを通じて、読者の皆さんからたくさんの率直な声を
いただきました。今振り返れば、厳しいご批判も、温かい励ましも、毎週寄
せられるご意見は、私が政策を進めるための大きな原動力でありました。
 今はただ、読者の皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。1年間のご愛
読、本当にありがとうございました。
 
 
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 なるほど、と頷いた後、ふと思い返して、安倍ちゃんの最後のメルマガを読んでみた。
 (こちらも宜しかったらどうぞ)
 
 
 
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「こんにちは、安倍晋三です」(安倍内閣メールマガジン 第46号より)

● 改革、テロとの闘いを前に進めるために

 
 こんにちは、安倍晋三です。
 内閣総理大臣の職を辞することを決意いたしました。
 7月29日の参議院選挙の結果は、大変厳しいものでしたが、改革を止め
てはいけない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならない、との
思いから続投の決意をし、これまで全力で取り組んできました。
 また、先般のAPEC首脳会議が開催されたシドニーにおいて、テロとの
闘い、国際社会から期待されている、高い評価をされている活動を中断する
ことがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない、と
申し上げました。
 国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この
政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思いで、
活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。
 テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくりにつ
いても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべき
と考えてまいりました。
 そのために、私は何をすべきか。
 局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると考え
ました。
 改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけですが、今
の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難
である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければなら
ない。そう判断するにいたりました。
 新たな総理のもとでテロとの闘いを継続していく。それを目指すべきでは
ないだろうか。今月末の国連総会へも、新しい総理が行くことがむしろ局面
を変えていくためにはよいのではないか、と考えました。
 決断が先に延びることで困難が大きくなる、決断はなるべく早く行わなけ
ればならない、と判断いたしました。
 無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさん
のためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。
 約1年間、メルマガの読者のみなさん、国民のみなさん、ありがとうござ
いました。
 この間にいただいた、みなさんの忌憚のないご意見、心温まる激励を、私
は決して忘れません。
 私は官邸を去りますが、改革、そしてテロとの闘いは続きます。これから
も、みなさんのご支援をお願いします。(晋)
 
 
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 またしても、なるほど、と頷いてみる。どちらも言いたいのは、この国と国民のために、「私では駄目です」、と言うことらしい。「だから次の首相に託します」と。微妙にニュアンスは違うが同じことを言っているように思えた。
 ふと可哀想にもなる。ふたりともよほど自信をなくされたのだろう。
 国民の皆さん、無責任と批判するのもいい、国が漂流していると嘆くのもいい。でも安倍ちゃんと福ちゃんの支持率覚えてますか?あなた、支持してませんよね?絶対。毎日テレビを見て福ちゃんに文句を言っていたはずです。
 なのに突然辞められるのはムカつくと言うのもおかしな話じゃないでしょうか。
 そりゃやめるよ。あんだけ言えば誰でもやめるよ。
 切実に思うのですが、このままだと日本の政治が崩壊します。
 次の内閣総理大臣は、たとえどんなにハチャメチャなバカがなろうとも。
 またたとえそう思えようとも。
 
 
 絶対支持してあげてください!ちょぴっとだけでもいいから。
 
 
 日本は誰も総理大臣になりたくない国になってしまいます。(もうなってるかも)
 宜しくお願いいたします。