ノアの箱舟を探して

 
 
 

 

 
 このままではもうだめだ。
 今まで良しとしていたやり方はもう通用しない。現状を打破できない。
 どうしたらいいのだろう。今さえ良ければいいと思って、ただ生きてきたわけではない。それなりに頑張ってきた。だけど、努力も尽きた。
 自身の限界地点を越えなければ、決して新たな道は開けないだろう。
 ところで、私は遭難ものや漂流もののノンフィクションが大好きだ。人々が災害や事故に巻き込まれて、日常から放り出される。飢えや寒さ、更なる危機が襲いかかり、彼らの精神は極限状態に追い込まれる。そんな中でどうやって生き抜いていくのか。耐え忍び、協力し合い、解決策を模索して、救済へと向かうのか。
 若い時から冒頭のような問いを発することが多かった私は、図書館へ通っては良くこれらのノンフィクションを読んでは参考にさせて頂いた。決して自分がその通りにできるわけではなかったが、彼らの逞しさ、何があてっても生き抜こうとするその生命力にずいぶんと勇気づけられたものだ。
 もちろんノンフィクションだけではなく、小説でも映画でも良かった。危機が訪れる。タイムリミットもある。そんな中で人々が救われる道を選択していく。地球環境の変化や人類社会の行き詰まりからか、今ではこういったテーマの物語がとても多い。雪山に飛行機が不時着しようと、地球に岩石が落ちて来ようと、ハリケーンや洪水に見舞われようと、宇宙人や亡霊が襲って来ようと、災害と外敵の内容は変わっても、ひとつだけ共通したセオリーがある。それはノンフィクションも、フィクションも一緒だ。
 どの物語でも、救済までの過程に必ず描かれる出来事、それは極限状態に陥った人間の狂気である。
 これは救済の道までに通過しなければならない必然なのか。自然災害よりも外敵よりも恐ろしいものとして、繰り返し描かれてきた。生き残った者の誰か一人が狂気に陥り、仲間に襲いかかる。またそれは一人ではなく、ときには感染し、集団となってヒーロー(たち)を追い詰めることもある。生き残るためには、今置かれている異常な事態の原因(本質)と戦う以前に、まずはこの、極限状態でおかしくなった仲間を倒さなければならないのだ。
 どうして人間は必ずこのテーマを繰り返し描くのか。私は不思議でたまらなかった。自然災害よりも外敵よりも、身近な私たち人間の心のほうが恐ろしいと訴えたかったのか。それともやはりただの物語のセオリーで、通過地点にすぎないのか。どちらにしても、救われるために主人公たちはかつて味方であったもの、かつて仲間であったものを倒すという葛藤と苦悩に見舞われる。それを越えなければ、決して本当の敵とは戦うことができず、救われる道はないということだ。これは人類の永遠のテーマ、もしくはあれだけ多くの物語が同じ道を描くのだ、人生における真実なのだろう。
 
 
 週末のプチ撮影旅行は今週も近場の森となった。私は答えを見つけるまで、この森に腰を据えてやろうと思っているようだ。
 カメラと三脚を持って軽快に自転車を飛ばす。耳にはイヤホン、鳩山由紀夫首相の施政方針演説を繰り返し聴いている。何が悲しくて、好きでもない男の声を何度も聴かなくてはならないのだろう。(私は好きな男の声も最近では聴けてはいないのだ)それでもこの中に、この国のこれからのあり方を、方向性を示す答えがある。行き詰った現状を打破するためには、私を取り巻く環境の変化と未来の方向性を知ることが必要不可欠だ。それは私の道と通じているのだ。
 私は森林公園の入口に自転車を置いて木々の中へと入り込んでいく。葉を落とした裸の落葉樹が立ち並ぶ。寂しい景色だ。見るべきものも、美しい景観もそこにはない。多くのものにとって、私の行動は謎のようだ。
「何を撮ってるの」
 先週に引き続き、訊かれるのだった。今度は同じ道を行くものだった。先週の私は隣の広い道を行く男に訊かれて、ぞんざいながらもコナラの木を指し示したが、今日は顔も見ず、返事もしないのだ。距離感が近いと、なおさら腹が立つものだろうか。訊かなくても、この道を歩く者ならわかるだろうとでも思っているのか。無視されても去ろうとはせず、私に近づいて来て、カメラの液晶モニターを覗き込もうとする男を振り払うように、足早に森を歩いていく。
 私は災害や事故に巻き込まれているわけではない。しかし、イヤホンからは繰り返し警告を唱える言葉が続いている。地球も、人類も、今は危機に瀕しているそうだ。飢餓や感染症、環境破壊、生態系の激変…
「私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した『人間圏』はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の『残り時間』の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です」
 現代では「頭のおかしくなった仲間」を見分けることが難しい。物語のようにわかりやすく出て切れくれれば良いものを、わかりやすくても倒すには葛藤も苦悩も付きまとうと言うのに、誰がまともでだれが狂気だか区別しずらければなおさらだ。私は男の質問に答えず、足早に去ったことで自分を責めていた。そのくせ、男が腹いせにと、暗い森で襲いかかってこないかと心配までしているのだ。
 「いのちを守りたい」、この国の総理大臣が施政方針演説で24回も繰り返す「いのち」という言葉。そうだ、現代はいのちを政治家に守ってもらわなければ生きていけない時代なのだ。地球政府の大統領でもない、一国の総理大臣が繰り返し訴える「いのち」の貴さ、危うさ、今私たちの命が脅かされているのだ。仕方ないじゃないか… 私は自分を守らなくてはとうそぶいて、森を進んでいく。
 
 

 

 私にとっては冬の森は見ごたえのあるものばかりだった。枯れた木も乾いた土も草も空気までもが新鮮だった。先日男たちが電動のこぎりで切っていた木の枝は、山になって積み重ねられられ、またはまとめられて三角形に立ち並び、まるで収穫後の稲のようだ。枯れ木にまとわりつく蔦の緑の鮮やかさ、裸の枝を広げる落葉樹と常緑樹の緑の融合した冬の空の美しさ、もっと腕があれば、見る者にとって何の価値のないこれらも輝かせてあげることができるだろうに…私など、誰が見ても良しとする美景や花を撮らなければそれこそ何の価値もないものではないか。だれからも評価されず、笑われて、見捨てられていくものではないか。自分の趣味趣向を呪いながら、誰もが良しとする言葉の羅列を今では子守歌のように聴いているのだ。ガンジーを持ちだされたはかなわないなぁ…私はこれでは野次を飛ばした野党が無礼だと批判されるのもうなずけると苦笑いをしながら、政策という政治家の腕で対抗せようとはせず、理念で信を問うならば、私など今頃は大きな写真展で最優秀賞を取れるのではないか、実効性の伴わない口約束だけの理念でもいいのだから、「木々への愛を前面に押し出して撮ったものです!」とさえ言えば拍手喝采を浴びて入選し、今頃カメラマンとして楽に生活できているに違いないと思ったりしている。
 しかし、この耳触りの良さは称賛に値するものだった。ガンジーが言うように理念なき政治は困りものだろうが、理念だけの政治は多様の解釈を生み、いかなるものをも満足させる。また、崇高な理念を根幹に掲げておけば、枝葉の批判は低俗と思われかねない、批判しどころのない、誰からも悪く思われることのない、ここにはそんな逃げ道がある。
 私は森で迷いかけていた。楽しそうに道を行く家族連れ、年老いた夫婦、ここは彼らの散歩道であり、私がいる場所ではないのではないか。ここで与えられるのは、不審そうな眼と、好奇心の質問と、発表しても評価されない大量の無駄な写真と… 私はもっと誰からも好かれる写真を撮るべきではないだろうか。この声を神のお告げと聴くべきだ…
 
 
 

 

 

 鳩山首相が言いたいのは、訪れる地球と人類の危機、この時代に新たな航海の舵を取れるのは自分たちだということだった。今までのやり方はもう通用しない。生活も、経済も、社会共同体も新たな形を模索する時だと。それら文化の価値観としての概念を成功型のモデルとして世界に向けて発信して行こう、そのことによって生き残ろうと言うことだった。
 先日の国会で、旧体制の顔となる小池百合子衆議院議員がこう訊いた。
「乗組員は誰ですか、という話ですよ」
 彼女は首相に問いただしたのだ。外国人の地方参政権付与法案に関する質問で、この国はこの国の民固有のものではないかという意味で。
 私はその時、その質問を評価した。まさにそれを聞くべきだと思った。しかし、あとになって、この演説を何度も繰り返し聴いた今になって、あの時の私の高揚が無意味なものだったと知ったのだ。鳩山首相の考える乗組員は私たちではない。それは、彼にとってまさに愚かな質問と映ったに違いないと。
 ノアの箱舟だ。それが地球上のすべての種を雄雌ひと組ずつ乗せて旅立ったように、彼はこの船にあらゆる人々を乗せて、航海に出ようとしているのだ。彼が守りたいいのちは決して日本人だけではなく、崇高な理念の下、世界規模になっている。もしも耳触りのいい言葉に踊らされて私が喜んでノアの箱舟に乗れば、地球や人類の危機を乗り越える前に、船内での戦いに明け暮れなくてはならないだろう。彼が示す未来は友愛、乗組員の融合だ。しかし、それは人類の歴史上成功したためしはなく、すべての物語に繰り返し描かれる人間の本質だ。そして、各国の箱舟には決して日本人が乗ることはないだろう。荒波の航海で待ち受けるのは、他民族だけ、もしくは同質の価値観だけで武装された乗組員がいる船ばかりだ。舵を取るものが、このいのちの危ない時代に、狂気にあるものを判別することを拒み、愛に導かれて、航海を始めた。その新たな船のモデルが成功して、他の国々も船をも圧巻するものになるまえに、狂気に陥った乗組員同士のいざこざで、救済への道は閉ざされるのではないか。その必ず訪れる必然の過程を乗り越える体力が私たちにあるだろうか。もしも鳩山首相が理念とともに消えたら、その時荒波に乗り出している私たちの箱舟はどうなるだろうか。もしも、狂気に陥ったある船員が他国の船の共謀してクーデターを起こしたら、あっけなく舵は奪われるわけだな…
 私は繰り返し聞こえる言葉から、成功した場合のリターンと失敗した場合のリスクを考え、自分に置き換えて模索していた。
 何度考えても、どうしても納得できない、この崇高な理念には、彼が責任を持って判断する基準が欠けていることだった。理念だけを与えて、あとは勝手にあるがままに、なすがままに、仲間同士で食うか食われるかの生存競争をしてくれと言わんばかりではないか。
 それは今までの社会とどう違うのか。私たちの叡智を総動員してと言う割に、混乱を乗り越え、融合して友愛となるための方法論が抜け落ちている。リスクが増えただけではないのか。現代は人類の叡智で成り立った姿である。それを放棄して新たな道を模索するなら、まずは政府が叡智を指し示す必要がある。乗組員すべての叡智に期待するのは安易すぎる。人間の本質を楽観視し過ぎている。彼が描く未来は、逆に今ある叡智を遠ざけかねないものではないか。
 いのちをあぶなくしているのは、お前ではないか。
 
 
 私はカラー写真を撮っていた。しかし、ここで設定をモノクロに切り替えた。先週に引き続きの何の変哲もない森の写真だ。せめて色をつけて、人好きの良い写真にしたいと願っていた。もうどうでもいいと思った。私はまず、地球規模ではない、小さくてもいいから私のノアの箱舟を作って、その中で他国の船や領海に捉われずに、影響力を受けることなく航海できる術を見つけることが先決だと気付いたのだった。
 新しい価値観を輸出しなくても、労働力や資源を輸入しなくても、たとえ貧しくても自給自足して生きていける、そんな術を取り戻さなくてはいけなかった。もう若さという資源は使い果たした。生半可な技ならだれでも持つ時代だ。徹底的に極めなくてはだめだ。
 私は多くの人々から見たらブタの手のような写真を熱心に撮り続けた。まだまだ道は遠かった。しかし、やっと答えを見つけた、そんな気持だった。
 来週はこの森を抜け出すのだ。私の船を待っている人たちがきっといる。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

キャンパスに絵を描くように。 ~この森のこの道を行くということ~

 
 
 
 

 
 
「お姉さん、何を撮っているの?」
 森の散歩道で声が聞こえた。辺りに人はいない。私に訊いたのだろうと振り向くと、一本隣の広い道に年配の男が立っていて、不思議そうにこちらを見やっている。多分彼も散歩の途中なのだ。
 行く道の先々で私はいつもこの質問を投げかけられて生きてきたように思う。
 何を撮っているの?何かそこに撮るべきものはあるの?何でそんなところを撮っているの?
 彼らは必ずこの道にはいない。いつも別の道から無遠慮に、この質問を投げかけるのだ。
 心底へきえきしていた私は無言で、目の前の木を指し示す。ブナ科コナラ属の何の変哲もない雑木林に普通に立っているコナラの木だ。
 
 私は出かける前に友人からもらった森山大道の写真集を見ていた。見るたびに下手くそだなぁ、と思うが(私の好きな土門拳とはまるで違う)、ふとこの有名な写真家が自由自在に絵を書いていることに気が付いた。彼にとってどこを撮るかは問題ではなくて、すべての景色は自分のキャンパスなのだろう。だからこんなにも突き抜けているのだ。
 信条と言ってもいいのか、独自の世界観と言うのか、彼は何を撮るかではなくどう撮るか、自分がどの道を行くのかをよく心得ている一人だった。
 
 道を行くのは選択の連続だ。たどり着く、もしくは目指すゴールは一緒だとしても、行く道はいくらでも選ぶことができる。
 (私は今日何の変哲もないコナラの木を撮りたかったから細い散歩道にいたわけだ)
 撮りたいものがあるから道を選んだ。たとえそれが価値のないものでも、選んだからにはここで私の絵を描こうではないか。
 空を見上げると、枯れ枝と枯れ葉と常緑樹の枝葉が絡み合って光を跳ね返していた。綺麗だった。そう心がはっとときめく瞬間、立ち止まってシャッターを押す。色で描く絵は今の自分にそぐわないような思いがした。光と影を使って、カメラとレンズのからくりと特徴を使って、上手く撮ろうとしなくてもいい、自由に描くのだ…
 
 
 

 

 
 信条があるから選択がある。しかし、世の中は選択したもので評価されることがほとんどだ。選択したからには信条があるのだろうと、この道を歩き続けていたのはここをどう撮りたいと言う確固とした意思があるからだろうと無条件に思われるような気がしてならない。
 私は森山大道の写真集と撮り始めてすぐ声をかけられた冒頭の一言で、どう撮るかということ、何を撮るかということに思いを巡らせていた。
 そして、私とは別の道を選択した人々のことを、つい先日のお昼休みのことを思い出していた。彼女は私の勤め先で一番長く働いている。最後に残った同期の社員が辞めてから、格下の私たちと一緒にランチを食べることになったのだった。彼女は私の目を見ずに、他の子に向かって語り始めた。学生時代にね…
 彼女の学生時代の話は機嫌がいいときは中学生や高校生で、機嫌が悪い時は短大となる。有名なお嬢様学校の短大の話を、コンビニのおにぎりを箸で突きながら始めるのだった。
「○○さんの奥さんも○○短大で○○を勉強したんだって」
 だから幼稚園の教員の資格を持っているらしい、と言うところで私は反撃に出る。「幼稚園の先生いいですね。私も司書の資格を撮りたかったなぁ」
 彼女はここではじめて私の存在を思い出したのか、やっとこちらを見て瞳を曇らせた。
 いつか彼女と飲みに行ったときに、2時間ずっと有名大学とお嬢様短大の話だったことを忘れてはいない。その時はたまたま偶然の話題で、ただの話の流れかと思っていた。私以外の全員が体験談を話して盛り上がっても私は笑っていた。おめでたいものだ。あれは8人いる中の私だけを疎外したかったのだと知ったのは、あとで彼女が私に対して機嫌を悪くするごとに大学と短大のすることに気付いてからだった。
 図書館で働くなんて素敵ですよね、あの資格を持っていればなぁ、と私は話を続けた。
 私は彼女が勉強して挫折をした資格をいくつか持っていた。そのことで彼女がコンプレックスを持っていたことも知っていた。
「資格取るといいよね。私は勉強しなかったから幼稚園の先生の資格取れなかったんだよね」
 そして、彼女は正直に告白した。
 ○○の大学に行かなくても、○○の短大に行かなくても、私はちゃんと生きてきた、と言うことはたやすい。
 いつも同じ仕事をしても、同じこと以上の仕事をしたと思っても、私が評価されることも、重きを置かれることもない。経験の長いものは私のことなどいつでも目に入らないし、私の言葉など訊ねもしないのだ。たとえそれを悔しく思おうとも、私が選んだ道は信条と呼べるものなどなかったこともわかっている。
 だから本当は彼女に負けさせてはいけないのだということも…
 私は多分広い道にこだわり過ぎたのだ。どう撮るかよりも、何を撮るかに固執し過ぎていたのだろう。
 
 このままではたとえ海外の最高峰の山を撮っても、朝霧で満たされた静寂の湖を撮ろうとも、冬の厳しい渓谷の美を捉えようとも、何も変わりはしないのだ。
 
 
 テレビでは男が記者会見をしていた。大嫌いな、悪役の似合う大物政治家だ。追い詰められた彼は不思議と、良い顔をしていた。
 男が政治家を続けていたのは、こういう政治をしたいと言う、誰かのために、国のために、そんな思いがあったのだろうか。
 続けることに固執するのも、その道を行きたいという確固としたものがあってのことだろうか、私はそんなことを考えている。
 そうして、今日撮った自分の拙い絵を見返して、これでいいのだ、これでいいのだ、と慰めるように呟くのだ。
 私はいつかこの森のこの道を、誰よりも上手に、きっと描いてやろうではないか。
 しかめ面する時間は残されていない。
 
 
 
 
 

 
 
 

全体主義と和の精神、似て非なるものを考える。

 
 
 
 
 11分間の独演会だった。
 民主党の小沢幹事長は16日午後の党大会で、予定していた議案報告を急きょ、あいさつに変更した。うっすら笑みを浮かべて登壇し、新年のあいさつを始めたが、すぐ険しい表情に変わり、「今までの経緯と今後の決意を申し上げたい」と事件について語り出した。
 「与えられた職責を全力で果たしていくと同時に、こういう権力の行使の仕方について、全面的に対決して参りたい」
 演壇を両手でたたきながら、幹事長続投と検察との対決を宣言すると、神妙に聞き入っていた国会議員らから「よーし」という声援や拍手が一斉にわいた。党のホームページにもすぐに、「このあいさつは万雷の拍手で確認された」という文章が掲載された。
 突然、議案報告を任された輿石東参院議員会長は、参院選の勝利を訴えるはずが、「衆院選」と読み間違え、会場から指摘を受けた。小沢氏による式次第変更の「ツケ」を回された形の輿石氏は、「ちょこっと斜め読みしただけだから……」と周囲にぼやくだけだった。
 小沢氏はこの日、午前中に鳩山首相を首相公邸に訪ねて幹事長続投の了承を得たうえで、地方代議員会議で続投を表明していた。党内で頭をもたげ始めていた辞任論の機先を制して続投に動き、首相のお墨付きを得た小沢氏は、同会議の控室でも余裕たっぷりに「おう、おう、おう」と居並ぶ幹部に声をかけたという。
 小沢氏に気おされたように、地方代議員会議では小沢氏への批判はおろか、事件に触れる発言も出なかった。大会では来賓が事件に言及したが、首相が直後に「民主党代表として小沢幹事長を信じている」と擁護した。小沢氏に近い議員は「党全体で検察と闘う姿勢を示したわけだ。首相も一蓮托生(いちれんたくしょう)だ」と満足げに語る。
 しかし、実際には、小沢氏への不満は渦巻いている。特に参院選を控え、地方には懸念が強い。党大会で小沢氏が続投を表明した際も、地方議員の席では「なんだ、辞めないのか」「これで参院選どうするんだよ」というささやきが飛び交った。
 「声を上げたくても上げられない空気になってしまった」
 ある衆院議員も大会後、匿名を条件にこう語った。西松建設からの違法献金事件が表面化した昨年、代表だった小沢氏に辞任を求めた議員が、政権交代の際の人事で冷遇されたことが頭をよぎったようだ。
 圧倒的な力と周到な根回しで当面、党内の辞任論を封じ込めた小沢氏。しかし、事件の展開と世論の動向次第で、風向きはがらりと変わるかもしれない。
          ◇
 小沢氏の秘書だった石川知裕衆院議員が、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入に関する政治資金規正法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された。首相や小沢氏はどう対応するのか。党内に走る衝撃を追う。
(2010年1月17日16時02分  読売新聞) 
 
 
 
 
 昨日の全体主義に対する疑問のことを考えていた。
 今まで私の思想と新たに学んだことがリンクしない。どうもこんがらがっているようである。
 私は会社も全体主義の一つではないかと考えた。会社という集団の中で、いつも私はそのことを思い知らされてしまう。出る杭は打たれることや、会社の方針がすべてなこと、個人の時間よりも会社の業務を優先すること、それが当り前であること。しかし、東洋の奇跡を起こし、発展をしてきた日本の数々の企業が、低次元で示威行動をするような集団であるとは思えなかった。
 まずは正確な定義を知らなくては、と全体主義を調べる。
「個人の権利を無視して、国家の利益、全体の利益が優先される政治原理。(中略)近代国家においては国力を総動員する戦間期にこうした主張があらわれたとされるが、今日でも個人の自由や利益を制約する傾向が顕著な国家について全体主義国家、あるいは全体主義体制の呼称があたえられている。個人主義や民主主義の対語としてよく使われる」
 これをしっかりと踏まえたうえで、今度は東洋の奇跡を調べる。
 と、その前に、近代国家の戦間期の件だが、私は以前こんなことをブログに書いていた。
 民主党を叩いた記事だが、私はそれまでずっと日本が社会主義的な体制の、人権を無視した低俗な国だ、と海外から評価されることに対して腹立たしい思いを抱いていた。それは、決して見くびられるほどのものではない、大和魂は個人主義(民主主義、または自由主義)よりもよほど優れているとさえ思っていた。
 いつの間に批判組に感化されたのか、昨日の記事では東洋の奇跡は社会主義的体制か?とも考えている。
 そこで、今度は東洋の奇跡を調べる。
「日本人独特の勤勉や、個より集団を重んじる(=和の文化)等が要因」(で起こった)とあるではないか。(ウィキペディアより)
 東洋の奇跡は全体主義なんかではなく、やはり和の文化(和の民族精神)が要因なのだ。しかし、その説明が妙だ。「日本人独特の個より集団を重んじる」とある。全体主義の「個人の権利よりも全体の利益が優先される」とこれはどう違うのだろうか。戦間期の歴史も、日本の経済成長も、すべてを含めて日本と言う国がそもそも全体主義的国家であったのか。やはり海外から批判されていたように低次元の?
 私は首を振った。多分混乱しているか、言葉のトリックにはまっているに違いない。そう思いながらも私は思想を確認するためにまた言葉を調べるのだ。和の精神を書いた本を読み返している。
 勉強するということは言葉を認識するということだとしみじみと思う。今まで考えてたこと、その自分の核となる思想のどこに、新しい言葉を当てはめるのか。それがうまくいけば学びは成功で、失敗すれば、すべてはおじゃんだ。私は世間にある言葉と、自分の中にある言葉とをすり合わせて、正確な落とし所を測っている。それさえうまくいけば、世の中はそうおかしなものではないだろう。そして自分自身もだ。
 
 和とは日本独特の徳目だ。
「和を以て貴しとなす」
 聖徳太子の十七条憲法の第一条に出てきてから、ずっと日本の理想とされてきたようだ。儒教にも和は出てくるが、徳目である礼の方法論として和があった方が良い出てくるのみで、和そのものを徳目をすることも、しかも何よりもまず優先する第一条にするということもない。そんな国は日本だけなのだ。
 全体主義と日本の民族精神は似て非なるものだ。古くから日本の第一の徳目とされてきた和を再認識して、この混乱の糸をほどこう。
 
「十七条憲法第一条 おたがいの心が和らいで、協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところは人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成しとげられない事はない」
 
 和とは話し合いである。神から真理を請う海外の宗教的思想と違い、日本ではたとえ悟りを開いていない不完全のものであろうと、低次元の庶民でであろうと、大勢が話し合えば、おのずと道理にかない、真理が生まれるとしているのだ。和=サークル、話し合って大勢が円になること。
 それが和の社会に住む、和人が作った、大和という国なのだ。
 つまりこう考えればいいのではないか。似て非なるもの、危うい全体主義か、伝統的な民族精神(または民族的趣向)かを見極めるときは、それが十分話し合いなされたかどうかを基準として考えればいいのだと。
 全体主義の示威行動では話し合いが行われることはあり得ないと聞いた。示威行動をされたものは恐れや不快感から心を閉ざして、相手と距離をおいてしまうのだそうだ。
 戦間期は、哀しいかな、やっぱり全体主義なんだろうな。しかし、その不純なものの中に、それでも燦然と輝く、英霊たちの貴い民族精神が確かにあったと私は思う。
 そして、東洋の奇跡は、経営者と従業員は話し合いがなされたのか。組合はあっただろうし、戦前のような全く人権を無視した扱いがあったとは思えない。経営者は待遇という形できちんと対応したのだろう。が、やはりウィキの定義通り、「何ごとも成しとげられない事はない」の要因は、経営者との「話し合い」そのものよりも、和(環、サークル、円)を尊んだ日本人の忍耐強さから来ているのではないかと思われて来る。全体主義に陥りそうな危ういところを、または戦時中のように実際陥った時でさえ、彼らはこれを勤勉さと忍耐強さで昇華させてきたのだ。個を殺して、集団(公)のためにだけ尽したのだ。頭が下がると言うか、改めて驚かされると言うか。
 私が今の会社を全体主義的だなどと考えるのは、まだまだ修行が足りないのだろう。もしくは忍耐不足か、勤勉さが足りないのだろう。ましてや全体主義と分断統治をミックスした人心掌握術が粛々と行われている、などと思うのは、場違いな話であったのだ。(しいて言えば、話し合いが足りなかったということはあるかもしれない)
 話を戻せば、たとえ偉大な歴史の彼らは十分な話し合いがなされなくても、耐えた。ただし、経営者と労働者、戦時中の帝国主義国家と兵隊、というくくりではなくて、その時々の歴史の中で、日本の中で、総意としての話し合いがきちんとなされていたのだろうな、とは思う。国民は全員、戦争の勝利や経済の成長を望んでいた。だから努力し、耐えた。話し合いは決して十分ではなくとも成立していた、ということなのではないか。
 そこまで思いを巡らせて、思想と言葉をリンクさせた私は、冒頭のニュースのことを考えてしまう。
 民主党のなかで、幹事長続投の話し合いはなされたのだろうか。
 また日本国民との総意もそうだ。続投を望んでいることをすでに確認できたのだろうか。
 それは本当に成立しているのか?
 憲法とはどうだ。司法とはどうだ。彼らは宮内庁や検察にいちいち反抗しているように見える。また検察と戦うとさえ言っている。この小沢氏の主張は民主党としての和の精神か。あるいは政治家としてのそれだろうか?
 和の世界というのは、話し合い至上主義である。不完全なもの同士でも、話し合えばおのずと道理にかない、真理となる。この思想は素晴らしく思えるが、しかし言いかえれば、話し合いで全員が一致すれば何をやっていい、なんでも変えられる、ということにもなりかねない、危うい側面もあるのだそうだ。
 人権よりも、仏や神の教えよりも、ましてや宮内庁の役人や検察ごときよりも、それは大きな真理となりうることもあるのだろう。
 話し合いがなされたのかどうか、なされないうえで全員一致の危ういルールを作っていないか、そのルールは人権よりも神よりも仏よりも天皇よりも国益よりも国民よりも、それらこの国すべての総意よりも重きを置かれる真理なのか。そうではないならば、せめてそれらは昇華されているものなのか。
 党大会に参加された方々すべてに訊いてみたいと思うのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

国思う勉強会と一本の木と

 
 
 
 

 
 
 国思う勉強会に出かけてきた。これが二度目である。
 前回よりも人が増えていた。博士は「今回は会場が狭くて」と謙遜をしていたが、私は部屋の大きさ、椅子数、来た人数をメモに取る癖がある。今回は大体の年齢も統計してみる。70代~20代まで。40代以前が圧倒的に多い。国を思う若い世代が多いのは心強い思いだった。
 
 話を聞いていて、講義そのものよりもその時々で自分の中で疑問に思ったこと、印象に残って思いを巡らせたこと等をメモに取っている。
 今回は以下の三つ。
 
 
 
 ■集団→示威行動→全体主義、個人→啓蒙→民主主義、の流れから
 
 全体主義的な思想にするためには低次元にならざるを得ない?民主主義的な話し合い、野党となる立場の反対意見は禁じられている。知恵を出し合って個々の意見、思想を発展させる術もなく、皆が最低限納得するレベルに留めるとしたらもちろんそうなのだろう。そこで私は身近な集団でまず会社のことを考えた。必ずだれもが所属する、家族の次に重要な(人によっては家族よりも重要な)社会の入口である集団だ。
 会社が全体主義かどうかと聞かれたらもちろんそうなのではないかと思う。特に日本では啓蒙家の社員よりも低次元のもののほうが扱いやすい。けれど、日本は集団の和の力によって東洋の奇跡と言われるほどに経済的な発展をした。低レベルでも協力しあって、発展は出来るわけか。または以前爆笑問題が独創性の問題を取り扱ったときに西田幾太郎の話が出た。そのときに考えた「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という思想との関連性。
 異端者であるよりも、自分を消して周りと一つになること、その中で浮かび上がってくる私ではない私が唯一の私の姿、爆笑問題は自分を消してそれでもなお自分であるその姿を表現し続けることこそが独創性だと断言していたように思う。そして私はその考えに深く共感したのだが、これを全体主義としての会社の中の私に置き換えると…
 タイミング良く博士が、啓蒙家であった教師が学校を辞めて塾の講師になった、という話をする。
 全体主義の一員でありながら啓蒙家であることは可能か?低次元にならずに?また東洋の奇跡は別の次元の話だろうか。あれはどう見ても社会主義的日本の姿ではある…
 
 
 ■安全保障を他国に頼らなくていい国を模索する話から
 
 博士からこんな言葉を聞いて目からうろこの想いがする。「日本が研究、開発をして核を無力にすることも可能かもしれない」
 もしもそんな武器を開発できたならば!私はこの問題をまた身近な問題に置き換えてみるのだ。
 つまり、いつも思うのは、ある問題を解決するには、否定か、肯定か、選択肢は二つしかないと。会社の人間関係が苦痛であったとする、その場合、こんな会社辞めてやれ、となるか、もしくは、そういうものだと自分の受け止め方を変えるしかない。それが解決不可能なものでも、問題があるままでも、私は私のまま幸福に生きてやろうと。
 しかし、そうではなく第三の選択肢があるとしたなら?核を無力にする研究、開発、はあるがままを受け入れる肯定とは違う。明らかに前向きな攻撃的姿勢である。問題を無力にしてしまうほどの私になれたらどうだろうか?その新しい環境を、システムごと体制ごと作り出せたとしたならば?人間関係を良くしようと言う努力のことを言っているのではなくて、既存の関係を無力にする力のことを言っているのだ。そんな力をもしも生み出せるとしたら?ああ、革命ってそういうことか…ためしにもう一つの例を考える。メディアのでたらめが気に食わない→否定なら、テレビや新聞を見ない。肯定なら、テレビも新聞もそういうものなのだから、そこそこの情報源に留めて、自分の頭で考えよう、インターネットのブログを読んだり、自分で信用のおけるものを選ぶのだ、となる。しかし、第三の選択肢があったら、既存のメディアを無力にする媒体、今ならインターネットが一番の近道か…を押し上げてしまおう。戦えるはずだ。そう未来の話ではなく、どうにかしたら…でも問題点もリスクも大きいのか?でも中心人物のいないネット人口すべてが力を合わせれば?しかし、それは全体主義にはならないのかな…
 
 
 ■たとえ日本を弱体化させる侵蝕が進んでいたとしても、日本人の根は深いという話から
 
 日本人にはとてつもない底力がある。これは希望だ。地下何百メートルにも根を張る木のようだというお話があった。地上に出ているのはほんの少しである。だから多少木の枝が曲がっても、枝を切り落として時が経てば、また真っ直ぐ生えてくる。日本人のDNAは根深く、根強いものがある。
 たとえそうだとしても、今は国際結婚が盛んだ。韓国人と日本人というパターンもかなり多いと思うのだが…この場合、その貴重なDNAも少しずつ変わっているのだろうな…
 
 
 
 
 
 勉強会が終わってから隣に座っていたご婦人と一緒に駅まで変える。彼女が駅前のたい焼き屋さんの匂いに釣られ、店内に入っていく。ふたりでたい焼きを二個ずつ食べ、アルミ缶のお茶を飲んでまったりする。この後江の島に花の写真を撮りに行くのだ、と話したところ、地元で今菜の花祭りをやっていると言う。早咲きの菜の花を撮りに各地からカメラマンが集まるのだそうだ。この間は海外の衛星テレビも取材に来た…
 急きょ予定を変更して、菜の花祭りに向かう。私は今日、勉強会に行くのに指定の駅を乗り過ごし、戻ろうと隣のホームに滑り込んだ電車に飛び乗ったらそれが急行電車で3つ先の駅まで戻ってしまい、また各停に乗り換えて目的駅についた、という苦い経緯があったが、菜の花祭りでもまた同じことをしてしまった。私と婦人は各駅でしか止まらない駅で降りるはずだったのに、急行電車に乗っていたのだ。おかげで3つ先の駅に行き、戻る電車を15分近く待った。陽は傾いていた。日没までに菜の花を撮れるのか、心もとなくなってきた。
 それでも婦人は私に道を案内するのだ。駅に着いたら別れるのかと思っていたが、彼女は、(私が)撮っているときは勉強会の資料を持っていてあげると言うのだった。二人で息を切らして山を駆け上る。山と言うよりは小さな丘陵のようだが傾斜の急な階段が続いている。私は木々の隙間から垣間見える空の夕陽をちらちら見ながらついに駆けだした。振り向くと婦人はにこやかにほほ笑んで頷いた。途中神社が現れて道が二手に分かれる。婦人はまだ追いつかない。私は神にさまにお祈りをして、その間にやってきた彼女とまた一緒に登っていく。二手の片方へ進んでいくが、頂上まで行く道を遠回りにぐるり回っただけのようだ。そのことに気がついても、並んで歩いていたらふと、もう夕陽の菜の花が見れなくても、頂上に着いたら日が暮れていてもいいような思いがしてくるのだった。良い場所を教えてもらった。今日は下見でまた来ればいいのだ…
 ついに展望台の最後の階段の下まで来たとき、不安そうに振り向く私に婦人が言うのだ。「もう大丈夫よ」道はまた二つに分かれていた。でもどちらを登ってももう終いだ、と言うのだろう。彼女は荒い息を漏らしながら、私を促すように首を振る。それが合図のように、私は駆け上がった。細い横木の階段を必死で登り、山頂の展望台にたどり着くと、今まで見えなかったすべてが見渡せたのだ。海、夕陽の空、そして菜の花畑。
 
 
 
 
 
 
 わぁ、と思わず歓声をあげて一番高い展望台まで走って行った。カメラのレンズフードを外して土の上に放り投げるように置き、カメラを構え、そうしながらフィルターを回して、夕陽の輝きが綺麗に映らないかと願っている。あいにくもう陽は沈んでいた。いや、雲に隠されていただけかもしれない。夕陽は見えなかった。しかし夕焼けが残っていて、空と海をかろうじて染めている。菜の花を綺麗に撮ろうとすると、暗い夕焼け空が飛んでしまう。空を生かすと菜の花が影になる。露出が難しい。必死で撮って、ふと振り向くと、婦人が寒いのか身を丸めて立っていた。人の良さそうな微笑みを浮かべ、ほんの少しだけ当惑した表情で、こちらを見ているのだった。
「写真、見せてね」
 彼女は、今度とも今とも言わなかった。私は彼女の地元までのこのこ着いてきたくせに警戒心を崩せないでいる。
「じゃあ、また春の勉強会の時に」
 とお愛想のように言うのだった。
「帰りが遅くなってしまいましたね。すみません。大丈夫ですか」
 返事はなかった。そうして二人で山を降りて、ふと気が付くとレンズフードが付いていない。「あ、忘れてきました」
 振り向こうとすると、手提げに入れて置いたわよと笑われてしまう。さっき声をかけたのだそうだ。彼女は私が写真を撮っている間、勉強会の資料が入った手提げをずっと持っていて、その中に私が放り投げてレンズフードを入れておいてくれたのだった。
 山の上から見える景色を彼女は教えてくれた。山を下りながらもいろいろ教えてくれた。
 あれは、○○山、富士山はこちらの方向、あれは○○ホテル、私の家はあの山の向こう…
 ひとつだけ答えられなかったのは、私が山頂で偉く気に入った一本の木の名前だ。私は山を降りながら、似た木を見つけると、「さっきの木の似てますね。ヤマグワ、って書いてある。あれもヤマグワかな」などと罪なことを言う。頭の中は木の名前のことでいっぱいだ。何の木だか、わからなかった。だけどあの山頂の一本木がとても気に入ったのだ。あれは何の木だろう、そう山を降りながらずっと考えていた。
「ナンキンハゼですって」と彼女が嬉しそうに言った。
 たぶん待っているであろう家人に電話をしていたところだった。私は驚いたものだ。わざわざ木の名前を訊いてくれるとは思わなかった。礼を言い、駅前で別れることになる。するとここでも婦人は観光協会にするりと入って行って、この町の資料をもらいながら職員に訊いている。
「つかぬことを聞きますが、あの山の山頂に一本の木がありますよね。あれは何の木でしょうか」
 ナンキンハゼで解決したと思っていた。
「あれは、エノキです」
 年配の男性職員がはっきりと言った。そうして、彼女に私用の地元の資料を、私と婦人の二人用の菜の花祭りのカタログを手渡すのだ。
「エノキだって」
「エノキですか」
 たった一本の木の名前を聞いただけなのに、まるで尊いことを聞いたように私は繰り返している。
「ありがとうございます。写真、見てくださいね」
 今度はいつとは言わなかった。
 婦人は優しく微笑んで、「では、春にね」
 駅前のバス停で彼女と別れた。
 私は勉強会の資料を持って、彼女の町のカタログを抱えて、駅前広場を駆け抜けていく。菜の花のような黄色い色をしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 

東京地検さん、頑張ってください。

 
 
 

陸山会、石川氏事務所、鹿島…特捜部係官が次々と 土地疑惑で捜索

(msn産経ニュース 2010.1.13 18:39)
家宅捜索が行われている小沢民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」が入るビルの前には大勢の報道陣が詰め掛けた=13日午後5時50分、東京都港区赤坂家宅捜索が行われている小沢民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」が入るビルの前には大勢の報道陣が詰め掛けた=13日午後5時50分、東京都港区赤坂

 

 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が購入した土地をめぐる疑惑で13日、強制捜査に乗り出した東京地検特捜部。小沢氏の関連事務所やゼネコンなどを夕方から一斉に捜索した。
 東京都港区赤坂にある小沢氏の資金管理団体「陸山会」事務所には、午後4時50分ごろ、特捜部の係官約15人が一斉に捜索に入った。事務所のあるビルには大勢の報道記者やカメラマンも集まり、周囲は騒然となった。
 陸山会の捜索は昨年3月以来。近くで働く女性は「また捜索でいい気分はしない。早く真相を解決してほしい」と話した。
 また、同区元赤坂の大手ゼネコン「鹿島」本社には係官約15人、東北支店(仙台市)にも約10人が、午後5時ごろに一斉に入っていった。
 このほか、小沢氏の元私設秘書で会計事務担当だった民主党の石川知裕・衆院議員の事務所や、区内の小沢氏関連事務所にも係官らが次々と入っていった。
 第1衆院議員会館内にある石川議員の事務所は、ドアを閉め切り、中をうかがえないようにしていたが、部屋前には多くの報道陣が集まり、ほかの国会議員秘書らも関心深げに様子を見守った。
 
 
 
 
 今日の午後、東京地検特捜部が小沢幹事長の政治管理団体「陸山会」への強制捜査に踏み切った。
 ニュースを見た瞬間、思わずガッツポーズをした。日本も捨てたものじゃないな、とほっとする思いだった。
 小沢氏に特に恨みはないが、衆議院選挙の際、国民へのマニフェストには記載しなかった外国人地方参政権を、民団(在日本大韓民国民団)へは公約としていたなど、民主党の政策は不可解な点が多すぎる。
 なぜ国民にも約束していないことを外人に約束するのだ。
 外国人から組織的な選挙支援を受けている政党がこの国を仕切っているとは信じ難い話だ。
 そして民主党の中でもその地方参政権付与法案に一番力を注いでいるのが小沢氏だ。これはどうしても地検を応援してしまいたくなるではないか。
 今回の強制捜査で党の幹事長が逮捕ともなれば、民主党だって妙な法案を易々と通すことはできなくなるだろう。
 かつて小沢氏は「こじつけたような理由で検察権力を発動したのは政治的にも法律的にも公正を欠く」と検察批判をしていたが、こじつけだろうが不公平だろうが、今回の件でこれがこの国からの暗黙のメッセージなのだということを理解していただきたい。
 選挙の票の確保のために、自らの権力保持のために、外国人に公約をするのはおかしい。その外国人向けの公約を(国民の意思に反して、または国民に何も言わずだまして)推し進めるのも異常だ。それは、国を売るに等しい行為だ。
 小沢氏に、誰かの権力を批判する権利などない。彼はあきらかに危険人物である。
 私は良くへまをして排除されて生きてきたからこの国のやり方が良くわかっているつもりだ。危険人物は抹殺される。鳩山首相も、民主党の面々も、いい加減神輿を担ぐのはやめて、小沢氏を正当に評価するべきだ。この国からの暗黙のメッセージを真摯に受け入れるべきだろう。
 
 
 地方参政権法案が通れば、この国は地方から解体されていく。郷土が消え、日本が終わるのだ。
 もしあなたに失いたくない心の故郷があるならば、ぜひ一緒にこの法案を阻止して頂きたい。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

闇の支配者の日本解体を阻止せよ ~「闇の支配者“最終戦争“ そして新しい時代の突入へ」を読んで思う~

 
 
 
 
(msn産経ニュース 2010.1.11 20:50)
 
 政府・民主党は11日、永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案を政府提出法案(閣法)として18日召集の通常国会に提出し、成立を目指す方針を決めた。この法案には自民党を中心に反対・慎重論が根強く、地方議会を巻き込んで国論を二分する事態となる可能性もある。
 鳩山由紀夫首相、民主党の小沢一郎幹事長らは11日午前、首相官邸で政府・民主党首脳会議を開き、この方針を確認した。
 平野博文官房長官はすでに公職選挙法や地方自治を所管する原口一博総務相に対し、参政権法案の検討着手を指示しており、今後、政府内の法案提出に向けた動きは加速しそうだ。
 民主党で検討されている法案は、地方自治体の首長と地方議員の選挙権を、戦前から日本にいるか、またはその子孫の在日韓国・朝鮮人らの「特別永住外国人」(42万人)に加え、その他の「一般永住外国人」(49万人)の成年者にも与える内容。ただ、「朝鮮」籍保持者には付与しない方針だという。
 地方参政権付与は、韓国や在日本大韓民国民団(民団)が強く求めており、社民党、公明党、共産党などが賛同。民主、自民両党では賛否が割れている。
 また、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は反対し、法案の閣議決定を認めないと明言している。地方でも、千葉、石川、熊本などの県議会が相次いで反対の意見書を可決しており、政府・与党内の調整が難航し、政権運営の火種となる可能性もある。
 
 
 
 ついに来たという感じだ。民主党はマニフェストにも記載のない外国人参政権法案を、新政権となって初めての通常国会で通そうとしている。また、そのほかに、選択式夫婦別姓を取り入れた民法改正案も、3月には閣議決定したいという考えを示した。
 どちらも成立したら、日本解体に繋がる重要な法案である。ずいぶんサクサクと行ってくれるではないか。多分このほかにも彼らが18日からの通常国会で、または早々の閣議決定で、成立を目指している怪しい法案は多数あるのだろう。
 なぜ、このような主権在民の主権を日本人とは考えていない政党を多くの方々は支持し続けているのだろうか。
 マスコミもなぜ擁護し続けるのか。
 多くの方々は私よりもたいてい頭が良いはずだ。ならば、彼らには見えているが私には見えていない「そうしなければ(民主党政権でなければ)いけない理由」があるはずだ。自民党政権でなければ何でもいい、という理由だけではもう合致しない。
 私はそれを知りたくて、様々な理由を模索する。結果があるからには必ず原因があるはずだ。確かに自民党政権は腐っていた面もあっただろう。癒着はあったし、米国に腐るほど日本の資産を売った。けれども、自民党には風前の灯ではあったとしても、保守の精神があった。官僚と手を組んで、外資から日本を守ろうという気概も残っていたと思う。民主党のように、日本の在り方と国益とそして国民を、まったく無視した政党ではなかった。
 なぜ民主党なのだ。
 民主党を選んで現代の「明治維新」を願ったならば、そうやって今までの日本システムをぶっ壊して、目指す方向性があったということだろうか。
 自民党と民主党の違いはどこだ。私は真剣に考えるのだ・・
 数か月前まで見えなかったこと、つまり米国よりか、中国よりかと言うことか。覇権国家を争う両大陸の、別の一極を選んだということか。
 それとも彼らの友愛精神か。彼らのグローバルな視点はこの国の方向性に適しているのか。
 
 だから私は反対意見をなるべく知りたくて仕方がないのだ。私から見たら民族淘汰としか思えない日本解体の侵蝕が迫っている、こんなにもこの国に危険が押し迫っているというのに、民主党政権の勢いは思うほど衰えてはいない。数々の金にまつわるスキャンダルも、騒動だけで結局は簡単に乗り越えてしまう。不思議でならないのだった。
 そんな時、偶然Amazonで見つけたこんな本を見つけた。購入し、著者のHPやリンク先を読んでみたのだった。
 本を読んだ方のレビューを見て、閃いた。もしかしたら、この危機(私が思う危機)よりも更なる大きな危機があって、民主党はそれを防いでくれているヒーローだという思想でもあるのではないか。自民よりはまし、というレベルではなくて、私が求めていた合致する理由が。はっきりと自民党政権だと日本が滅亡する、だから民主党を選ぶのだという確固とした・・・まさかそうだったのか。やはり知らないのは私だけだった・・
 そんな思いに囚われながら、必死にページをめくり続けた私なのだが、読書後の感想はたった一言。
「なんじゃこりゃ」
 という落胆にも似た思い。狐につままれたような思いだった。
 簡単に言うと、世の中には闇の支配者が存在して、様々な世界を牛耳っている。彼らが引き起こそうとしている最終戦争は近い。日本が中心となって世界を救うのだ。というもので、良く出来たハルマゲドン予言書、もしくは闇に隠されたていた世界の真実の暴露本、そしてこれから世界はどう進めばいいのかという指導書ともなっている。
 多分この著者はとても頭がいいか、それともこの問題についてずいぶんと勉強されたのだろう。言わずもがな、わかるだろうで進められる話の展開は、私からすると青天の霹靂、天地がひっくり返されるような真実=新たな世界認識の連続なのだが、その今までの認識を覆す彼の理論を裏づける根拠は何も記載されていないのだ。せいぜい写真が一枚、それから「ほかにも様々な証拠がある」という言葉。様々ってなんだよ・・と思わず突っ込みたくなる。著者が言うところの「洗脳」が過ぎたのだろう。私は新たな新世界の認識に納得できないまま、読み進んでいったが、しかしさすがにラストに近づくと、納得できないままにも思わずこれこそが真実だと思わせる迫力はあったと思う。
 特に、戦後の政府や自民党の歴代の政治家が闇の支配者に脅されて彼らにお金を注ぎ込んでいた・・・というくだりなど、もしもそう考えると、あの異常な外資への身売りなど、国益を無視した様々な政策もあり得る話だったのではないか、と思われて来るのだった。
 過去の大平正芳、田中角栄、竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三、歴代の首相が闇の支配者と戦って暗殺されたなど、突拍子もない話も妙に説得力があった。暗殺までは行かなくても失脚を恐れて言いなりになった政治家は多かったのではないか。
 そう、それほど闇の支配者は怖いという話で、彼らの呪縛から解き放たれるためには、原点に返り現在の明治維新を起こさなければいけない、とこう結論が続く。そして、著者が勧める新世界の姿が明らかになる。すなわち、日本型社会主義を解体するためにも官僚制度をぶっつぶし、大量移民を受け入れ、「万類共尊」と言う日本古来の価値観を生かしていこうではないか、という、アジアと手を組んで平和的に共存(尊)していこうと社会の理想像が描かれるのだ。
 この共尊という理念で締めくくった本を読み終わったときに私はデジャブに襲われた。これは鳩山首相の友愛と同じではないか。著者が勧める新しい日本のモデルも、民主党が勧めている社会の姿ととてもよく似ているのだ。
 私はここにきて疑問を禁じ得なかった。危険な闇の支配者を暴露する著者が、暗殺もされず、まだ生きているのはなぜか。
 闇の支配者たちには秘密政府による教育マニュアルがあり、プロパガンダで人類を洗脳すると言うが、この新たな世界の真実も、逆洗脳と言えるのではないか?または著者のいうところの「情報戦争」の一種ではないだろうか。
 そうでなければ、あまりにも安易なそそのかしである。現在の明治維新を起こして、欧米の支配者から解放された日本が、世界のリーダーとなる、という予測はあまにも根拠に乏しい。
 平和的な立派な理念を持っているから。と言われても理念など中国や北朝鮮は武力でぶっ壊すことが出来るだろう。(これからは武力で解決せず国際裁判に任せる、とそれが実現可能だと本当に思っているのだろうか)
 日本のタブーとされていた最新技術を人類のために使う。と言われても、これからの中国なら、最新技術ごと知的財産ごと日本の企業を買収することが出来るだろう。
 また日本がリーダーとなる最大の根拠は日本が最大の債権国だと言うが、その債権って使い物になるものなのか。米国の国債がほとんどではなかったか。
 維新をして日本をぶっ壊せ、と言い、そのあとに夢のような世界を描いて見せるが、私からすると、ぶっ壊した後のその新世界が現実化される確証があまりにもなくて、安易なそそのかしにしか聞こえてこない。無責任である。どこか日本解体をもくろむ組織から雇われているのではないか、とさえ思えてくるではないか。
 今は明治ではない。明治維新のときには今までの有り様を壊しても、目指すべきモデルがあった。欧米の近代化した社会はすでに成功例としていくらでも学ぶことが出来たのだ。しかし、このすべての国々が、世界が、終焉に向けてただ走っている中に、日本を解体をして、そのまま壊れたまま「地球規模の大変化」に飲み込まれて、二度と再生出来ないというリスクは本当にないのか。著者の軽率な予測がもしも、この国の民を民主党支持へと向かわせているならば、私はこのばかばかしい楽園思想を決して許すことはできないだろう。
 どうも自民党の政治家を必死で叩き、今の政治や民主党支持の学者を支持しているような数々の発言が気になる。思いすごしなら良いのだが、Amazonのレビューでは「読後感が爽快」等という意見もあっただけに、罪な思想の植え付けにも感じられる。平和や友愛と同じように、崇高な正の理念を隠れ蓑にして、真実の姿を隠すものはあまりにも多いのだ。
 著者がもしもそうではないというならば、平和的な未来のそのビジョンの、その根拠をもっと明確に示すべきではないだろか。
 私は今こそ保守で行かなければ日本は持ちこたえられないと思っている。この考えは変わらない。著者の言うとおり、今は世界的に危険な過渡期だ。日本古来の理念で乗り切ろうと言うのならば、言葉だけでは足りない。日本古来の姿に、今こそ徹底的に固執するべきではないか。それこそが他国や支配者の思惑にも情報戦争にも飲み込まれず、国の姿を守り続ける唯一の道なのだと。
 奇しくも、今は、壊し屋と言われた小沢一郎が闇の支配者の政権である。彼が最後に壊すのは日本だった、なんて洒落にもならないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

誰かの声を聴きながら、眠る老木。

 
 
 
 
 以前、「山で人に道を聞いてはいけない」という記事を書いた。
 その時から私は同じ頂を目指すものが、その道の途中で問いを発することの愚かしさを知った。ところが一方、人がその目的地へとたどり着くためには、単独では難しいということも思い知った。人はあまりにも無知で、頑丈には出来ていない。頂きが高ければ高いほど、友を増やし、互いに補い合わなければ不可能ではないのか。
 
 人生を山と仮定する。
 知らない人には道を聞いてはいけないが、道を聞いても許される友を持てということか。
 しかし、どうもそうではないように思われた。あくまでも、山を登るのはみな単独行動なのだ。心許せる友がいようと、愛する家族がいようと、やはり問いを発してはいけないと私は思う。もしも、相手を想うならば、愛すれば愛するほど、問いを投げかけるのは愚かしいように思われるのだった。
 
 最近、眠くて眠くて仕方がなかった。睡眠障害ではないかと思うほど寝てばかりいる。とにかく眠い。今も半分寝ているような気分だ。
 年末年始、この三連休、今のところ寝てばかりでほとんど何もしていない。が、それでも仕事始めの一週間、平日はそれなりに頑張った。恒例の夜のマラソンに音楽を取り入れてみたりした。だけど、それを言いたいのではなかった。そう、人は単独で道を見つけなければならない。決して問いを発してはいけないが、しかし、誰かと互いに知らないことを補い合って、情報を共有し、心を強く持たなければ決してたどり着くこともない。その話をしていたのだ。私は一人夜の道を走りながら、ふと自分の矛盾を音楽があっけなく解決してくれることを発見した。
 
 一人で走っている時、私は私の息を聞いていた。はぁ、はぁ、という苦しい吐息。住宅街を抜けて、駅前から折り返して、県道の直線コースに入る。駅から家へと帰る人々を何人追い越して走る。そんな時、私は私の吐息がみっともなくならないよう口を閉ざしている。吸って、吸って、吐いて、吐いて。走るときの呼吸というのは、口から息を吐き出さなくても問題はない。肺を膨らませて、しぼませる。もしくは腹を膨らませて、引っ込める。その大きな躍動を感じながら鼻から微少の息を漏らす。私は人々の横をスマートにか駆け抜けながら、自分の口からではなくて、体の中の苦しい息を聞いているのだった。ところが、音楽を聴きながら走っていると、自分の吐息が聞こえないのだ。
 ふと気が付くと、私は音楽に合わせて、いつもよりもスピードを上げていた。そして、やけに苦しいような思いがして自身に注意を払うと、無様な吐息を漏らしているではないか。音にかき消されて気が付かなかったのだ。スーパーやコンビニの袋を提げて家路を向かう人々が、思わず振り返ってこちらを眺めている。大きな口をあけて大げさな呼吸をする私はさぞみっともなかったことだろう。しかし、私は自分のみっともなさにも気付かず、おかげで限界を超える力が出せたわけだ。カッコ悪さなど忘れて、ただ音のリズムに合わせて、音楽の世界に乗っかって、歌い手と一つになって、直線コースを走っていく・・
 
 ああ、ああ、そうだ。
 こんな補い合い方だってあるんだな。
 こんな励まし方もあるんだな。
 当たり前のことを忘れていた思いだった。十代のころはそうやって生きていたではないか。
 ただ、あの頃はそれがいかに大切なことか実感が持てず、その奇跡にも気付かず、まるで友達におんぶされて山を登る人のように、音に頼り過ぎていた。おかげで私は何度も山をリタイヤしたのだ。
 自分の声を聞くことよりももっと大切なことがある。自分を忘れるくらい、誰かの声に耳を傾けることがもっと大切な場合がある。
 そして、それはもちろん音楽でなくてもいいのだ。絵でも、写真でも、ブログでも、誰かが私ではない他人に発する言葉でも。
 私はそれをありがたく頂戴して、頂へ行こうではないか。
 そうして、自分も同じことをして返すのだ。直接問いに応えることがたとえ出来なくても、直接何も教えてあげることが出来なくても。
 そうやってみんなで行くのだ・・
 
 眠くて、眠くて、私は今朝も起きられない。
 早朝に起きて、また眠り、お昼近くなってやっと目を覚まし、それから近場の森へと出かけた。
 冬の木々が見たかった。咲き始めた蝋梅や、水仙や、梅、もちろんそれらも見たかったが、私はまるで立ち枯れているような、落葉樹の裸の姿をどうしても見たかった。
 森林公園は春から秋とは趣を変えている。私はいつもの道順さえもわからなくなりそうだった。葉を落とした木々たちで、公園の向こうの住宅街も、高速道路も、いつもは隠されているすべてが良く見渡せた。森の神秘性も思索的な世界観も消え失せていた。みすぼらしい樹木が、裸の老木たちがぽつり、ぽつりと立ち並んでいる。
 自然のサイクルでいえば、今は冬眠中とでもいうのか、一番樹木が休息する時期なのだろう。今は栄養分をため込む時ではないか。
 春になって、一気に芽吹くまで、彼らはじっと寒さに耐えて、内なる力を蓄えている。
 私は写真を撮りながら、この森の裸の老木たちと自分とを重ね合わせていた。
 ふと愛おしくなる。無様さや、みすぼらしさにまで、自然の美を感じながら、心の中で励ましている。
 そうしながらも、早く帰って眠りにつきたくなるのだった。
 
 この眠りが覚めたら、私も歌を書くのだ。そうだ、誰かのために・・・
 
 そんな夢を現に見ながら、まるで本当に冬眠して、二度と目を覚まさぬもののように夢を見ながら。
 何度も繰り返す。だいじょうぶ。きっと大丈夫なんだよ、ほら。
 あなたはもう出来るんだよ。今は周りの声をじっと聞いていればいいんだ。
 誰かにそう語りかけている。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

相対する若者たちとファッションと ~2010年、片瀬海岸東浜初日の出編~

 
 
 
 20代のころ、まだ私がインポートカジュアルショップの店員だったころ、私のファッションセンスや洋服における美学に決定的な影響を及ぼした人がいる。
 何度かこのブログにも登場するミキナカオという店長だ。
 彼はブリティッシュトラデショナルやアメリカンカジュアルよりも、イタリアやフランスのトラデショナルとカジュアルを基本としていたようだ。「着崩す(きくずす)」という言い回しが大好きで、洗練さを残しながらも基本を崩す、遊び心のあるファッションスタイルを特に愛していた。
 そんなミキナカオが職場に来なかった時期がある。海外研修だったか、それとも痛風で足を悪くした時だったか、記憶が定かではないが、一ヶ月間に取ってせいぜい一か二日、ほとんど休みも取らずに働いていた彼がかなり長い間姿を見せなかった。
 この時とばかり、楽しくやっていた私とバイトの子たちの前に、他店の店長が入れ替わりでやってくるようになったのだ。
 印象に残っているのは、S店長である。彼がカウンターの横に立ち、その周りに立ち並ぶ私たちに講義をするようにこう訊いた。
「カジュアルの基本は何だか知ってるかい」
 私たちは、何でしょう、と口々に言ってはまじめに考え始めた。内心可笑しさがこみ上げた。ミキナカオと比べると、S店長のいでたちはあまりにも洗練されていなく、体は太り、背は低く、バイトのおしゃれな学生たちに「基本」を唱える資格があるとは考えにくかったからだ。
 しかし気安い対応をするほどの距離感などあるはずもなかった。ミキナカオの代わりに私たちを指揮し、指導するためにためにやってきたS店長の発言をおもむろに待った。
「わからないかい? ほら、自分たちの格好を見てみなよ。」
「はぁ」(一同見まわす)
 S店長は心もち顎を逸らして、得意げに言った。
「背広(礼服と言ったか?)と労働着だよ」
 彼が言うには、カジュアルのすべての基本はトラデショナルとワークウェアだと言う。今思うと、私はそれにミリタリーウェアを足してもいいのではないかと思うのだが、その二つのどちらかを基本として発生したのが今のカジュアルなのだと物知り顔に言った。
 当たり前ではないか、とはだれも言わなかった。英国の紳士と農場や工場の労働者を連想した。そう言われれば、そうである。ミキナカオの感覚が今一つ宇宙人的に感じたのは、私がこの基本をはっきりと眼の裏に描けなかったことが問題だったのだ。
 それ以来、私はミキナカオの言うことも以前より理解できるようになった。洋服の着崩し(応用)が何となく楽に感じられるようになった。
 
 
 
 初日の出を撮りに片瀬海岸に出かける。
 紅白歌合戦を見た後仮眠をして夜更けに家を出た。江ノ島駅に着いたのは5時過ぎであった。
 これが全部東浜の日の出を見に来た人々なのか、駅前は若者であふれていた。中学生から二十代の若い人々が群れをなしている。改札の前もコンビニの前も東浜へと向かう地下道も若者の姿とかしましい声で満ちていた。カップラーメンの容器があちこちに転がっている。潮の匂いがする前に生ごみの匂いが鼻についた。
「このゴミ誰が片づけるんだよ」
 コンビニの前のごみを見て思わず呟きながら通り過ぎる少年がいた。ひでぇなぁ、と言いたいのだろう。ここではまともな方が珍しい。私は思わず顔をしげしげと眺めた。
 センスのいい少年。おしゃれな若者。このごろの若者はみな小奇麗で、私が若い時よりよほど洗練されている。
 私は若者たちの間を縫うように東浜へと向かっていく。海岸沿いには人が並んでいた。海岸へと向かう石段にもずらり初日の出を待つ若者たちが座っている。ここでも彼らは大騒ぎである。特に少女たちより少年たちはひどい。歌ったり踊ったりやかましい声を張り上げたりチンピラのように騒いでいた。しかし、こういう威勢のいい若者は意外と安心なものである。経験上そう分かっていたので、私は一番騒がしい彼らの後ろについて三脚を立て始めた。彼らは時々、数名にわかれてコンビニへと出かけていく。まだ日の出には1時間半ほどの時間があった。
 私は懐中電灯で照らしながら、カメラとレンズの設定を確認する。隣にいた青年が語りかけてくる。この青年は騒がしい少年たちの先輩であったようだ。
「寒いですね~ まだ時間がありますね~」
 どこかで聞いたような間延びのする声である。思わず安心するような攻撃性の欠如した・・今思うとあれは大槻ケンヂに良く似ていた・・そんな声で、思い出したように語りかける
「去年はあっちから出たんですけど、今年はどうでしょうかね~ あの雲があるところあやしいですよね~」
 ちょうど朝陽が昇るのではないかと想像していた場所には暗雲が夜空いっぱいに広がっているのだ。雲が途切れた左手の空、そちらもかすかに染まっては白んでいる。暗雲の中からのご来光となるか、それともあの雲の切れ間の明るい空から昇ってくるか。私は大槻ケンヂに相槌を打ちながら待っている。時々ぴょんぴょんと飛んで手をすり合わせる。
「プロの方ですか?」
 隣の若い女性が訊ねてくる。趣味ですと答えると、「良いレンズですね」と驚いた顔でお愛想を言う。こちらは黒一色、フリルのスカート、ビジュアル系が好きなのかもしれない。大槻ケンヂのほうは新しく三脚とカメラを持ってきた年配者の男に私に声をかけたことと同じことを言っている。去年はあっちから出たんですけど、今年はどうでしょうかね~・・彼はブルゾンとだぼだぼのパンツを履いて、頭は短く刈り込んでいた。
 騒がしい少年たちはコンビニから戻ってくるたびに、私を目印にしている。いたいた、カメラの人、と声が聞こえる。三脚が目立ってちょうどいいらしい。カップラーメンを持って戻ってくるのだ。彼らは光沢のある素材のジャンバーとジャージを着ている。
 不思議なのは、この若い少年たちのファッションである。江の島駅から東浜に来るまでに何度も目にしていた。ちょうど近所のショッピングセンターのカジュアルショップが、私には理解できない洋服をディスプレりし始めたように、彼らのファッションは洗練されたこの国の多くの少年たちのものとはまるで違う。
 これが今のカジュアルか・・・目を疑うほど、その基本はどこにあるのだか全く想像が出来ない。
 安っぽいツルツルの生地、ジャージでもないのに必ずジャージライン、防寒用に内側に綿が入っているその微妙な厚み、これは背広でも労働着でも軍服でもないな・・・私はルーツを必死に考えるが、私が彼らの年だったころに来ていた体操着と防寒ウェアしかやはり思い浮かばなかった。それとヤンキーの学ランか?それともどこか異国のものだろうか。近所のアジアの人が経営する格安露店で見かけたような思いもする。ショッピングセンターのカジュアルがアメカジから得体のしれないものに変わったのは、もしかしてあの格安露店のアジアンカジュアルに追いついたということなのだろうか・・少年たちは相変わらずカップラーメンの容器を浜辺に打ち捨てる。
 私の後ろも横も、ふと気が付くとたくさんの人が立っていた。大槻ケンジの間にも年配の男が割り込んでいた。後ろはカップル、少女が登山に行くと甘えて声で話している。
「登山なんかいかないでしょ」
「行くもん。いいもん、一緒に行ってあげないからぁ」
 なになに。なんて言った? と笑い返す男は寒さのせいか始終貧乏ゆすりをして私のリュックをぐいぐい押している。このころになると、朝焼けが一番明るく染まり、太陽が出てくるだろうと思われる点が明らかになっている。厚い雲が沈んだ空からではない。左の暗雲の切れ間のほうだ。私は神に感謝したい思いにとらわれながらも、次第にいらいらしてきて仕方がなかった。ファインダーをのぞきこんで、カメラや三脚を操作するのもカクカクと体が揺れる。私も貧乏ゆすりをする男とは山に登りたくない、などと考える。隣の黒づくめの少女はマクロレンズをつけたカメラのシャッターを必死で切っている。自分の声か、誰かの声か、「来た!」と声がして、みな息を止める。一瞬の緊迫が走った。
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 太陽が昇り始めた。歓声と言うよりは、吐息が漏れるような、声なき声があちこちでこぼれる。前のかしましい少年たちも太陽に見入っているのか、静かだった。私はシャッターを切る。去年ゴーストで失敗したので、今年こそはと思っていたが、やはり朝陽を撮るという学習機会があまりにも少なかった。その場になって絞りと露出補正を変えては、必死で撮り続けている。思っていたより空が明るいから+補正、ゴーストが出たから絞り込む、光が足りない。絞りを開く。海のヨットやボートのシルエットを撮りたいから-補正・・・いつの間にかとっくに太陽は昇り切って、波打ち際にいた人々は、帰り支度を始めている。階段に並んでいたこちらに向かってぞろぞろとやってくるのだ。
「きゃ~○○ちゃん!」
 大きな声がした。後ろにいた山登りのカップルの少女の友達が偶然来ていた。少女の大群が私に向かって駆けよってくる。
「嫌だぁ~元気だったぁ?誰と来てるの?えっ。彼氏?」
 彼女たちは自分たちしか目にないのか。私を蹴飛ばしそうな勢いだった。こちらはこちらで日の出しか眼中にない。邪魔しないで邪魔しないで、声を出しながら必死で踏ん張り、ファインダーから目を離さない。私たちって騒がしくない?最悪ぅ~と自分で言っている。全く最悪だよ、と聞こえるように言ったが動じる気配もなかった。
「やだ~○○ちゃん、素敵な彼氏といっしょでうらやましい」
 人々が帰っていく中、私はまだ写真を撮っていた。後ろの少女たちの騒がしい声が消えたころ、あきらめてカメラと三脚をしまい始める。一服をしたい、と切実に思ったが、あのカップラーメンの容器であふれたコンビニの前まで我慢することにしよう。
 早くこの場を離れたかった。まるで、得体のしれない格好の少年たちや、あの動じない舌足らず声の少女たちが、私を襲いに戻ってくるとでも思っているかのように。
 私は東浜から駅へと向かう地下道へと入る。人、人、人、すべて若者の群れだ。私は彼らのことが次第に相対するものの象徴のように思えてきて、不気味に感じ始めていた。逃げるように電車に乗る。ここも若者でごった返して、前には中学生のような少年たち。足を広げて深く座りながらも、その顔はどこか神妙そうだ。並んだ四人は友人たちと時々けだるそうに話をする。
「ねみぃな・・・寒かったな」やっぱり奇妙な光沢のあるジャージのようなカジュアルなのだった。
 自宅が近くなると、電車はやっと空いてきた。私は少年たちに向き合うように席に座った。左隣にも少年、こちらは高校生くらいか、やはり四人組であった。私は疲れ切っていた。撮ってきた写真を見るのは帰宅してからだ。次の次は私の駅だ。帰ったらのんびり反省会をしようではないか。手前の駅でジャージの少年たちが下りていく。
「おい、軍手忘れてるぞ」
 仲間に促され、ひとりが降りかかったドアから戻ってくる。落とした軍手を拾い、その横にある座席の上の空のペットボトルには見向きもしない。ホームを歩く少年のひとりが、煙草の箱を取り出した。マルボロのメンソールを口に咥えて笑いながら、彼らは視界から消えていった。
「だっせーな、あれ中坊だろう」
 驚くほど大きな声で、隣にいた少年たちが話し始める。
「煙草吸ってたぜ・・マジださかったな、気持ちわりいな」
「このへん、治安わりぃな・・」
 横目で覗き込むと、彼らはミキナカオを連想させるカジュアルを着崩した格好をしていた。洗練された今時の若者である。
「言ってやりゃ良かったのによ」
「喧嘩したら負けるぜ俺」
「はは・・ 左のやつ強そうだったな」
「いや、左から二番目だよ。ぜって―かてねぇ」
 ファッションから遠ざかってずいぶんの月日がたった。私は基本からも応用からも遠ざかった安物ばかりを着ている。
 治安の悪いと彼らの言う「このへん」の、次の駅で、私は背中を丸めて降りていく。「しっかし、まじださかったな・・」繰り返す声を後ろで聞きながら逃げるように、どこかでほっとしているように、複雑な思いを抱えながら電車を降りて、若者たちからやっと切り離されていく。