浅田真央の今季フリーのプログラム「鐘」(ラフマニノフ 前奏曲嬰ハ短調 作品3の2)は評判が悪かった。
シーズン初めて披露したとき、メディアからは散々だった。
「どうしてあんな重苦しい曲を選んだのですか」
外国人記者が訊いた。
浅田は淡々とした表情でこう答えていたと思う。次のシーズンの曲を選ぶときに、今までのような曲と、重厚な感じの鐘があって、今回は後者を選んだのだと。
彼女の妖精のような可憐な演技ではキム・ヨナには勝てない。何かが足りない。そこで、今までとは違う新しいイメージを創り出す必要があった。
私は初めてこの曲のフリーを見たとき、ずいぶんとがっかりしたものだ。盛り上がりに欠け、何よりも暗い。華麗なフィギュアスケートにラスマニノフというのがまず合わないのではないか。彼にはどうも悲運のピアニストの印象が強い。
今でもこの曲が何を意図して作られたものか、説明を聞かされても、演奏を何度聴いても、今一つ理解できない。鐘という愛称がつくくらいだから宗教的な色合いが強いのだろうが、そこは希望につながる祈りは浮かんでこない。闇のものに対しての鎮魂歌のように思えてならない。
なぜ、19歳の浅田が、五輪に向けた大事なシーズンをこの曲に賭けなければいけなかったのか。
新たなイメージを得るだけでは、計り知れないリスクがあるように思えた。
タラソワはかつてこの曲をサーシャ・コーエンやミシェル・クワンに与えようとした。コーエンは離反、クワンは故障によって実現しなかったそうだ。
鐘のプログラムを自分の教え子に氷上で舞わせることはタラソワの悲願だった。おそらく、この曲に彼女はかなりの思い入れがあったのだろう。遠い日の記憶とともに、いつでもこの名曲が彼女の心を捉え、ずっと放さなかったに違いない。
選手としての自分の夢も、コーチや振り付け師のしての夢も、彼女はその長い記憶の想いとともに浅田に託したのではないか。
「本当に鐘でいいの」
しかし、あまりに評判の悪さ、それに加えて浅田がこの曲を自分のものに出来ず調子を崩してから、タラソワはひるんで、そう訊いた。勝たなければ意味がない。
それでも浅田はこの曲で行きたいと意思を変えなかったという。
タラソワの判断は遅かったのだ。芸術性の高い、腹の底に響くような鐘というラスマニノフ名曲が、浅田を掴んで虜にした。
そして案の定、浅田が銀メダルに終わったあとで、それはこのプログラムのせいだとはっきりと書くメディアさえあった。
浅田のファンである私でさえ、バンクーバーのフリーの演技を見て思った。
キムの、解説者いわく、「水の流れるような」なめらかな、完成度の高い、美しい演技に比べて、そのすぐ次に出てきた浅田のなんと空恐ろしかったことか。
まるで氷上の天使のあとで、場違いな魔王が現れたかのようだ。何とも、禍々しかった。
これは審査員に与える心象も悪いだろうと。リスクは回避できなかったわけだ。
タラソワは名コーチだったと思う。しかし、思うにそれは過去の話ではないか。
彼女の時代はもうとうに終わっているように思えてならない。
芸術性の高さや、難易度の高さを追求しても、現在の採点方式では意味がないのではないか。
今、一番大切なのは、見るものや審査員が何を求めているか、ということだ。どうすれば、彼らの心象を良くできるか、彼らの心に訴えることができるか、それらマーケティングがすべてではないか。新採点方式の良い評価点をいくら稼げるか、ショーとしてのプログラムの完成度はどれくらいか。
フィギュアスケートが魅せるものであること、人の心を虜にするものであること、その本質が時代の流れとともに行きついた終着点なのだろうと。
タラソワと浅田はそこを完ぺきに見誤まっている。まるで時代遅れのシーラカンスのようだ。
しかし、それでも私はこの鐘を何度も聴きたくなってしまう。
浅田が負けたというのに、たとえトリプルアクセルや銀メダルが素晴らしい偉業であっても、金を目指してきた彼女は確かに敗れたというのに、それでもその無様な曲を何度も聴きたくなるのだった。
タラソワのように、浅田のように、この曲の虜になった。不思議なことに、聴けば聴くほど、良さがわかってくるようだった。
私は美しいキムの演技よりも、狂った浅田の演技を繰り返し見てしまう。映画のように。エンターティメントとして完成度の高いそれを、私はいつでも二度と見たいとは思わないのだった。その場は興奮して、最大限に楽しめたとしてもだ。キムの衣装も、プログラムも、演技も、すべてが最高の出来だった。それでも私の心には残らなかった。
心に残った番組があった。
フリーの前にNHKでやっていたスペシャル番組で、浅田が鐘のプログラムを自分のものにするまでのドキュメンタリーだった。
ジャンプの技術と、表現力、この二つを今まで両立させたフィギュアスケートの選手はいない。ジャンプを重視すれば、表現がおろそかになり、表現力で勝負しようとすれば、ジャンプは難易度が低いものとなる。浅田は自分の限界を超えるために、両方を自分のものにしようとする。鐘の音に流れるその姿は鬼気迫るものがあった。
彼女はこの曲に魅せられただけか。負けず嫌いで、出来ないまま放りだしたくなかっただけなのか。
もしかしたら、これは私の予感でしかないのだが、老コーチの思い入れを感じ取っていたこともあるのではないだろうか。
浅田がタラソワと契約したときの条件は一つ、「他の選手には教えないこと」、対してタラソワ側の条件は、「五輪直前で契約を破棄しない事」、だったという。
前回のトリノオリンピックで荒川静香は大会直前にタラソワコーチを捨てた。苦手なステップを覚えるために、手本を自ら示すことができるニコライ・モロゾフに変えたのだった。モロゾフはたった3カ月教えただけで、金メダル選手のコーチという栄光を手にしたわけだ。
荒川は私には前進する必要があったと言った。新採点方式でステップの重点は高い。彼女は新たな評価基準でいかにいい点が取れるかをあらゆる角度から研究した。マーケティングを決して怠ることはなかった。その賢い選択は、キム・ヨナと通じるものがあり、私の心にはどこかそぐわない。
氷上の荒川とキム・ヨナの笑顔は最高に美しかった。勝者の輝きが確かにあった。
一方、笑顔という人類最大の武器を奪われた浅田は、「上手くまとめてきた」と慰めのごとく誰かに言われるだけの表現に終わった。
彼女の初めての五輪は終わりを告げたのだ。
それでも私はドキュメンタリーのラストを思い返している。暗く、僅かな明りの灯る部屋、タラソワが深く椅子に腰をかけている。その丸めた背中に、膝かけ。年老いた女の哀れな姿。彼女はテレビを見つめて泣いていた。浅田が最後にキムヨナに勝利をした試合を繰り返し見つめて。刻まれた皺、老いた皮膚を、とめどなく涙が伝うのだった。
浅田真央は荒川静香やキム・ヨナが成しとげなかった何かを確かに果たした。
タラソワはそう遠くはなく、引退することだろう。時代には逆らえない。
彼女の鎮魂歌は浅田が与えたのだ。僅か19歳の少女の人生が、長い時の封印を解いたのだった。
私にとって、それはメダルに代えがたいものに思えてならない。