七つの大罪(ななつのたいざい)とは、キリスト教の用語。七つの罪源とも呼ぶ。「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があると(伝統的にキリスト教徒により)みなされてきた欲望や感情のことを指す。(Wikipediaより)
傲慢(高慢)
嫉妬
憤怒
怠惰
強欲(貪欲)
暴食(食欲)
色欲
傲慢、ということについて考えたとき、思い出すのは七つの大罪であった。そして不思議なことに、私はこれらの罪が同列に並ぶものではなくて、すべてが「傲慢」に帰せられるものではないかと思われて来るのだった。
嫉妬も怒りも怠惰も食欲も貪欲も色欲も、驕り高ぶる自分が思うところの「自分」と、他人から見た「自分」、その大きな溝からもたらされるただの現象ではないか?
傲慢だから嫉妬をした、傲慢さから憤怒をした、傲慢さからこの世は自分が働く価値などないと思い、傲慢さから自分に見合うものがどうしても欲しい、傲慢さから満たされずに食べることに慰みを見出し、そして色に走る。すべてが符合するように思えてくる。逆を考えるとどうもぱっとしない。嫉妬したから傲慢になった。憤怒をして傲慢になった。怠惰でいるうちに傲慢になった、貪欲さから傲慢になった、食べ過ぎているうちに傲慢になった、色に走って傲慢になった。あり得なくもないが、多少無理があるようだ。
またほかの組み合わせもいろいろ考えたが嫉妬したから憤怒した、とか符合するものはるとしても、全部の組み合わせが適うとなるとどれも多少無理があるように感じられた。
傲慢は他の六つの罪とは違うのではないか。もしも、その仮説が正しくてすべてが傲慢から来るものだとしたならば、傲慢ささえ無にすることが出来たなら、後の大罪も消滅するのではないだろうか。
そんなことを考えながら私は今日も週末の写真撮影に出かけていく…
『闇法案』という言葉がある。
公用語ではなくて、私がよく目にする政治ブログ「博士の独り言」の中に出て来る言葉である。
いつも私が言いたいことを的確に代弁してくれるので、私は教科書代わりにこのブログを良く目にしているのであった。(私のブログにもちょくちょく闇法案という言葉が出てくるが、それで影響を受けたためである)
今回、その博士が闇法案の勉強会をするということで、私も勉強会に参加させていただいた。この話は公表していいのかどうかわからないが、私のブログなどほんの数名の方が目にすればいいほうの弱小ブログである。というより思いつくほどにしかブログ自体を公表していない。私は故意に「秘密の場所」として、ひっそりと書き続けているのだった。だからこの話も目にする方は数名だろう。その数名がもしも、「博士の独り言」に興味を持っていただき、博士が言うところの闇法案や私の想いの代弁を知って頂けるならば幸いだ。
で、闇法案勉強会だ。
闇法案とは、「その在るべき内容やプロセスのいずれかに国民の目を避けるような不透明な部分を有して」いて、まるで政治の闇間に蔓延るような法案である。詳しい説明は博士のページを見ていただくとして、私がこの勉強会で知ったことで、いくつか驚かされた点を挙げてみよう。
1、ナチス・ドイツのホロコーストは実際はなかった、ねつ造だという説がある。(日本の歴史と自虐史観も同じようにねつ造があるという絡みで出て来た話だ)
本当だろうか。そのような説を聞いたこともなかったし、ましてやそんな想像をしたこともなかったので、これには驚かされた。実際、ニュルンベルグの裁判でドイツは「人道に対する罪」で裁かれている。この「人道に対する罪」はホロコーストの罪を裁くために新設されたものだ。終戦から裁判までの数年で600万人のホロコースト(という罪)を捏造する時間があったのだろうか。ただし、私はニュンベルグ裁判の判決文も行われた年も正確には知らないのだ。確か東京裁判より前だったのではないかという感覚で話している。もっと歴史や背景など様々なことを勉強してからこの件についてまたゆっくりと考えたい。
2、私が知っている以上にはるかに多くの闇法案があった。
闇法案と言うのは本当に言葉の通り、「闇間のもの」なのだなと実感した。地方参政権付与案なんて可愛いものだということを思い知った。
たとえばこれは今はまだ請願の段階だが「重国籍容認」「複国籍容認」の法案(の草稿)もあるようだ。
もしもこれが法案化され国会を通れば、もう参政権などなくても、どうでもいい。当たり前だ。すべての問題はクリアされる。しかも在日の特権もそのまま残るのだろう。
それから翌年の通常国会で決まりそうなものが、「国立国会図書館法の一部を改正する法案」
これは、歴史の事実を自虐史観に統一しようとする恐ろしい法案だ。あったことをあった、なかったことをなかった、と書くと罰せられ、なかったことをあった、あったことはなかった、と他国に都合よく真実を歪めない限り追求が続くと言う、まるで言葉狩りを容認するかのような法案である。お隣の韓国は真実を歪めてまで自国の歴史を輝かしいものに塗り替えることに必死だと言うのに、日本は逆に真実を歪めてまで自国を悪だと告発し、国民間の共通認識の浸透と他国へのあくなき贖罪を続けようとしている。
いったいこれはどうしたことだろう。こんなことが、「アジア地域の諸国民をはじめとする世界の諸国民とわが国民の信頼関係の醸成を図り、持って我が国の国際社会における名誉ある地位の保持および恒久平和の実現」に役立つのだろうか。
このような他国からの内政干渉のような法案を、日本人がまじめに賛成して、議案を提出しているという事実が空恐ろしい思いだった。何のためにそんな事をするのだろうか。マスコミに在日の幹部がいるから?総連や民団から支援を受けている?左翼の正義感?
これら闇法案によって日本は他国にとって都合のいいATMになり下がり、国体は弱体化していく。私には日本人という民族の抹殺、まさに平和な世界の闇の中でホロコーストが粛々と行われている、としか思えないのだった。
クリスマスまで一週間を切っていた。
今週末はクリスマスイルミネーションが撮影出来る最後の日だった。
私はどこへ行こうかさんざん悩んだ。貴重な一日だ。けやき坂も行きたいし、六本木ヒルズ、毛利庭園にも行きたい。ライトアップが復活した表参道も見逃したくない思いだった。また一度も行ったことのない竹ノ塚の光の祭典も見てみたい。
なのに、またしても気がつけば大手町駅で降りていた。私は丸の内にこだわっていた。
もし、ほかの場所を撮りに行って、その隙に他の人がこの場所に来て、私よりも上手に素晴らしく撮っていたら。そう想像すると耐えきれない思いだった。
もしも私もその場にいたならば、たとえ(私よりも上手な方はたくさんいるので)ほかの人が上手に写真を撮れられても仕方ないと思える。だけど、その時自分がその場にいないということが嫌だった。私は嫉妬をしていたのだ。またはしそうになっていたと言うのか。出来れば独占したい、無理なら独占できなくてもただ傍ににいたいと願う好いた男性を思う女性のような心理か。で、気がつくとまた丸の内に来ていた。
動機は不純なようだが、大丈夫だ。今の私は「傲慢」さからは程遠いところにいる。もはやすべてを悟ったのだ。
傲慢さからくる嫉妬でなければ大罪とまではいかないのではないか、罪もない可愛いものだ。私は光の街に降り立って、今日は闇間を歩かない。真っ直ぐにクリスマスイルミネーションを目指して有楽町へと向かっていく。まだ光都東京LIGHTTOPIAのイベントには早い。先週撮らなかった東京国際フォーラムへと向かう。
凄い人だ。入口の輝くアーチのようなライトアップを写真に収めようと人だかりが出来ていた。とてもではないが三脚など使えない。みんな携帯や一眼レフカメラを手持ちで必死に撮っていた。それでも私はあきらめきれなかった。しばらくは手持ちで撮っていたが、そのうち人々がいない道の端や邪魔にならない場所を見つけては、こっそり三脚を立てて遠くからライトアップやストラスブールのマッシュ・ド・ノエルを撮り始めた。
しかし、不思議と何枚撮っても何度設定を変えても上手くは映らなかった。私が撮れると「思い込んでいる私の絵」ではなくて、実際私がいつも撮れるレベルのものが撮れないのだ。やはり嫉妬がいけなかったのだろうか。この場所にこだわりすぎた。先週と同じような、しかも先週よりはるかにレベルの低い写真を何枚も量産して、そのうち私はいらいらしてきたのだった。私の顔を覗き込むように見ては通り過ぎて行く人々に腹が立ち、いたずらに睨み付ける。私はほかに行くべきだったのだ。
一枚も満足に撮れないまま、私はただ肉体も精神も消耗してしまった。疲労を感じながらそれでも丸ビルのツリーを撮りに行こうと颯爽と歩いている。先週このツリーを撮った後、私よりも上手に撮っている他人の絵を見た。丸ビルのツリーはこの街の光の象徴だ。どうしても負けたくなかった。いや、せめて負けても自分が納得がいくものを撮りたかった。私は丸ビルの中には入らない。ツリーの前には大勢の人々が集まり撮影会をしている。三脚など持ち込むわけにはいかなかった。クロスフィルターにPLフィルターを重ね付けて私はビルの外側からツリーを見上げた。三脚の足を一番低く広げてまるでビルの前の床にしゃがみこむ。まるで浮浪者のようだとふと思った。ガラスの向こうから私は眩いツリーを撮り続けた。
これは驕りから来る意地だろうか。自分が他人よりも優れた写真とを撮れるものだと自負しているのか。それが負けたから悔しいのか。ただの嫉妬か、それとも傲慢なのか、わからぬままそれでも、これだけは負けたくないというものが確かにあった。好きだから追求したいものがある。譲れないものがある。それを罪と呼ぶのだろうか。
何度撮っても、やはり嫉妬から始まった丸の内の撮影は散々だった。私はついに一枚も気に入った写真を撮ることができなかった。
しかし、努力はした。この場所に確かにいた。だから満足はしていないが、納得はできた思いだった。
汗をかきながら始めた撮影も、八時をまわると寒くて手が動かなくなった。手袋をして何度も足踏みをする。目もよく見えない。そろそろ肉体が限界だ。
私は名残惜しく、後ろ髪を引かれるような思いで三脚とレンズを片づけ始める。勝手知ったる家のように、雑踏を縫いながら地下鉄の入口まで一気に走っていくのだった。そうしてこんなことを考えている。そろそろ自分の言葉に責任を持とうか、と。
この場所は私の心のメモ帳である。だから誰かと共有するつもりはなく、公表も避けていた。
だけど、ここは私が愛する者たちのために始めた場所で、私が愛する者のために今も続けている場所でもあった。
私はその者のために存在し続け、それを証明するために、この先も書き続ける。
傲慢さからくるものかどうかは知らない。ただの嫉妬であることを願う。私にはこだわり続ける理由がある。
そのことをいつまでも忘れないように、行こう。たとえ何が起きようとも、魂に刻印するのだ。
私は地下鉄に飛び乗った。