『言葉の魔術師 太宰治』

 
言葉の魔術師と呼ばれる作家が好きだ。
彼ら(彼女ら)は、その命名どおり、美しい言葉の数々で、見事で巧みな文章力で、
読者を虜(とりこ)にする。
そして、読者の心の琴線に触れることができるのだ。
 
日本における、言葉の魔術師の第一人者は、太宰治と、宮澤賢治だ。
それを言うなら、ノーベル文学賞さえも受賞した、川端康成だろう、と言う方も多いと思う。
しかし、彼の文学は、精巧で、美しくて、本物過ぎる。魔術とは呼べないだろう、と思っている。
魔術師と呼ばれるからには、仕掛けと嘘がなくてはいけない。
その手にかかれば、赤のものも白になる。
道端の石ころも、立派なダイアモンドと変わるのである。
 
太宰治ほど評価が分かれる作家はいない。
傾倒する読者と、徹底的に批判する読者が、当たり前に共存する、不思議な作家である。
若い子は「今はまっているのは太宰治です♪人間失格っておもしろ~い」などと恐れを知らぬことを平然と言う。
ある程度お歳を召した読書家は「徹底的なナルシストだ。反吐が出る」とのたまう。
(ちなみに村上龍も何年か前そう言っていた)
今はずいぶん良くなったと思うが、生きている当時、太宰は文壇からもほとんど見放されていた。
死後長い間、太宰の話はタブーとなっていたようにも思う。
無理はない。
酒を飲んではくだを巻き、自殺未遂で何度も世を騒がせ、薬物中毒、愛人に隠し子、作品はデカダンス、「私に芥川賞をください」と選考委員に手紙を書いた。
醜態をさらし続け、挙句ぷっつり自殺である。
さらに、死ぬ間際には、「どうせもうすぐ死ぬし~、最後にぼく言いたこと言っちゃうもんね~」とばかりに、文壇とその中心人物たち(おもに志賀直哉)を徹底的に糾弾した。
そんな太宰は、しかし、当時の人気流行作家だったのだ。
死後何年たったのだろうか、彼の書く文章は、今もなお、読者の心の琴線に触れ続けているのだ。
 
 
私自身はどうかと言うと、若いころはありがちに傾倒した。
津軽まで、生家を見に行ったほどである。
30代が近くなったころ、急にうんざりしはじめた。
特に死ぬ間際のころに書かれた小説は、醜悪だとさえ思い、読むに耐えなかった。
年を重ね、人生のつらさを知れば知るほど、口惜しくなってきたのである。あんなに作品を愛して、その世界を信じたのに、彼は自殺をしたのだ。
「人生から逃げたのだ」と言う事実が私を太宰熱から醒めさせたのだ。
しかし、多くの知識人たちのように、太宰を切り捨てる気にはなれなかった。
なぜなら、そのとき私は、太宰が自殺した年に、至っていなかったからだ。
もしかしたら、人生と言うものは、私が計り知れないほどの、まだまだつらい現実が待ち受けているものなのかもしれない。太宰はその深淵を見たのかもしれない。
そう思われたのだ。
彼が死んだ歳まで、もしそれまで私が生き続けていることができたならば、そのときは、声を大にして、こう言おう。
「弱虫!負け犬!卑怯者!お前はなぜ死んだのだ!」
「読者を残して、なぜ死んだのだ!」
「嘘だ、嘘だ!」
「お前が描いて見せた結末は、ささやかな人生への希望は、すべて、ぜんぶ、
嘘っぱちだったんじゃないか!」
必ず、そう言ってやろう、と心に決めていた。
 
そうして、私は去年、太宰が死んだ歳になった。
今年、太宰が死んだ歳を越えたのだ。
 
昨年、私は、久しぶりに太宰の小説を読んだ。
罵倒してやろう、と心に決めていたのに、それはできなかった。
傾倒したときも、醜悪だと目を背けたときも、あまり注意を払うことのなかった、新たな太宰の一面を、そこに見つけたのだ。
それは、言葉の魔術師太宰治の、あふれるほどの生命力である。
したたかでたくましい姿であった。
あんなに繊細な心を持つ人間が、何度も死のうとした人間が、
どうしてあれほどの、みなぎる、力強い、生に対する執着を持ち続けていることができたのだろうか?
私にはわからない。
もしかしたら、それこそが彼一流のサービス精神なのかもしれない。彼がエンターティナーであったことこそが、そのゆえんなのかもしれない。
読者を愛す心が、文学を愛する心が、どんなに醜悪でつらい人生があろうとも、
彼をなお、生に執着させたのだ。
力強さを与えられたのだ。
太宰は確かに、人生を愛していた。
 
私は少し泣いてみた。
それから、可笑しくなって、笑った。
太宰にいっぱい食わされるのも悪くはない。彼の魔術が、それほど華麗で、見事だっただけだ。
ファンであり続けよう、そうして、太宰の分も、一日でも長く生きるのだ、そう心に決めた。
爽快な気分だった。
 
 
 
次回は『言葉の魔術師 宮澤賢治』
 
 
 
 
 
 

One Response to 『言葉の魔術師 太宰治』

  1. lala says:

    追記
     
    私の好きな太宰治作品リスト
     
    一位 『斜陽』
    二位 『ヴィヨンの妻』
    三位 『津軽』
    四位 『駆込み訴へ』
    五位 『トカトントン』
    六位 『走れメロス』
    七位 『御伽草子』
    八位 『逆行』
    九位 『富嶽百景』
    十位 『人間失格』
     

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