光と闇とゆく道と ~丸の内イルミネーションBright Cristmas2009~

 
 
 

 

(msn産経ニュース 2009.12.12 13:49)
 

 12日午前、ソウル市内の大学で講演する民主党の小沢幹事長(共同)12日午前、ソウル市内の大学で講演する民主党の小沢幹事長(共同)
 
 【ソウル=水沼啓子】韓国を訪問している民主党の小沢一郎幹事長は12日午前、ソウル市内の国民大学で特別講義を行い、永住外国人への地方参政権付与法案について「日本政府の姿勢を示す意味でも、政府提案として参政権を認める法律を出すべきだと思っている。鳩山内閣は同じように考えていると思う。来年の通常会でそれが現実になるのではないか。日本側が積極的に取り組まなければならない問題だ」と語った。
 
 
 
 「この政権の暴走は危険水域に入った」とは安倍晋三元首相の言葉だがまさにその通りである。
 地方参政権付与法案はそもそも日本人との同化が進む在日韓国人のことを考えて作られた法案であったはずだ。しかし、いつの間にか相互主義もなく中国人も対象になり、韓国への謝罪や在日韓国人の人権擁護(権利の取得)という政府対応としての処遇が問題のすり替えや隠れ蓑のように扱われていると思うのは気のせいだろうか。
 この問題は賛否両論あるだろうが、私は在日韓国人に関しては同調する面もある。その後の反日思想や民族至上主義が行き過ぎであれどうあれ、日本人として太平洋戦争を戦ったという経緯を考えるといたしかたない思いもする。
 しかし、なぜ小沢一郎が日本の議会を通す前に韓国でこのような勝手な約束(発言というよりは約束だろう)をしてしまうのか全く意味がわからない。
 まずは国内でその法案について議論するのが筋ではないのか。在日韓国人は日本に住む方たちである。本国は全く関係がない。彼らがこれから日本でどのように生きるのか、それを問う法案であって、韓国への朝貢(貢物)でも招致活動でもないはずだ。
 また、中国から続く外遊でこのような発言をするということは、韓国だけではなく中国でも同じ約束をしているだろうと想像するのはたやすい。600人余りを引き連れての大訪中団と言い、このような軽率な約束発言といい、小沢一郎という政治家が自分の日本での権限と偉大さを見せつけ、中国や韓国で点数を稼ぎたいと思っているのは明らかである。彼にとって「永住外国人の地方地方参政権」は貢物でしかないのだ。こうなると貢物をされた相手だってあやしくなってくる。本当に日本の犯した戦争の傷跡を引きずっているのか、差別によって苦しみ、人権擁護を切実に必要としているのか。ただ本国の政治カードとして利用されているだけではないのか。それ(政治カード)に応える日本の政治家がいるのだから、彼らの苦しみも「やっぱりたかりだったのね」とこう思わざるを得なくなってくるのである。  
 そして一番の問題は、なぜ中国人にも与えるのかというところだ。どさくさに紛れて、いったい何をやっているのか。
 私は小沢一郎の顔が中国人に見えて仕方がない。韓国人というよりは中国人だ。
 
 
 
 昨年、銀座~丸の内のイルミネーションを見に出かけ、皇居の手前でくじけてから、私にとってこのイベントを見ることは義務、いやというよりむしろ使命と化していた。まるで頂上決戦だ。いつか行くべき果たすべき場所として心に刻まれていた。で、今年こそはと勇んで出かけたものの、辺りは静まり返っている。お濠の周りを走るランナーの荒々しい呼吸ばかりが聞こえてくる。
 たぶん私は期間を見間違えたのだろう。やすやすと撮らせてはくれない。私は自分のミスをまるで必然のように考えている。
 まだお前には早い。そう神が笑って悪戯をしたのだ、とでも言うように。
 予定を変更して、皇居の後に行こうと思っていた丸の内仲通り(のイルミネーション)に向かっていく。しかしここもかろうじて街路樹のライトアップはあるものの、どうも質素である。シャンパンゴールドのLEDでライトアップされていない木が目立つ。そのせいか光が重ならず、光の束が美しく映らないのだ。おまけに丸ビルのツリーも昨年に比べるとLEDが一色で華やかさに欠けていた。もしかしたらクリスマス前には変わるのかもしれないが、それにしてもがっかりした。こんなところにも不況の影響が現れるのか。そう思うと哀しかった。
 この時期の華やかなイルミネーションだけが、一年を通してどれだけ暗いニュースがあろうとも、気持ちを輝かせてくれたのに。
 
 

 
 

 
 
 
 
 大手門を降り立ったとき、私は夜の街の闇に脅えた。
 夜、というものは恐ろしい。私はもうずっと昼間しか撮影に出かけていない。陽が落ちてから外を歩くのは、仕事帰りの会社から駅までと自宅のある駅から家まで、それから自宅付近のマラソンコースだけだった。
 去年目にしながら手の届かなかった皇居外苑のキャンドルパーク、その思い出の中の眩さを求めて日比谷通りを歩いていく。
 しかし、行けども行けども光は現れなかった。車のヘッドライト、流れるそれら異質の灯りの向こうには東京タワーがそびえていた。この道をずっと行けばたどり着く。だけどそれも遠く感じられた。私はよほどこのまま引き返して帰ってしまおうかと考えた。
 灯りを逸れて二重橋傍の駐車場へとふらり入っていく。だだ広いなかは一面の闇世界だ。振り向くと180度の半面の街の光。流れるヘッドライトも、都会の明かりも、私のいる場所から闇の対象として浮かび上がり、長く長く横へと続くそれらが先ほどよりも身近に、手の届くものとして感じられた。道の果ての東京タワーを見やると、もうビルに隠されて目にすることはできなかった。私は闇の中を歩き始めた。横断歩道を渡るとすぐに有楽町の地下鉄の入口が現れた。
 輝く街で三脚を取り出すことがなかなかできない。
 私は街の夜景を三脚で撮った経験がないことを思い出した。丸の内仲通りを流れるのはヘッドライトではなく大勢の人、人、人。よほど手持ちで撮ろうかと思ったが、それも自信がない。せっかくここまでたどり着いたものの、私は一枚も撮ることもできぬままただ人の波を歩いている。
 通りは無理だ。諦めかけて、国際フォーラムへと向かう。JA有楽町駅から近づくと隣をバスが止まるのだ。いや、たぶん先ほどから止まっていて、目に入らぬまま通り過ぎようとした私に声が響く。
「○○○○!!」
 聞き取れない。振り向くと男が観光バスの出入り口から身を出して叫んでいた。手招きをするような身振りだった。男の視線を追うと、私の向かいから女性が二人歩いてくる。満面の笑顔、楽しそうに道の脇のイルミネーションやショップを眺めているようだ。年配の女性と若い女性。男の妻と子供だろうかと想像する。
 私は国際フォーラムを通り過ぎて、仲通りまでまた戻ってきてはベンチにひとり座り込んだ。あれは、中国語だったな、と考えている。
 私がたどり着くことさえ夢見るこの地は、観光バスで楽しく、私とは対照的な笑顔をした外国人が闊歩するところなのだ。ここも私の場所ではなかったか。
 ベンチに座り込んで、もう今度こそ帰ってしまおうかと思いかけた時、私は見たのだ。
 私の前を通り過ぎる年配の男性、それから若い男性に女性、三脚を担いで街を行く人たちを。
 彼らはまるで私が山でするように、足を延ばしきった長い三脚を持ち、肩に担いで、きょろきょろと街を眺めていた。通り過ぎ、しばらく行くと立ち止まり、街を撮り始める。そうしてまた三脚を持って歩いて行くのだった。イルミネーションが続く街路樹の道をそうやってずっと。
 私は煙草を吸っていた。行き交う人々の中で唯一輝きをもって私の目の中に入ってくる彼らを、何人もの彼らを見つめていた。それからふと、突然思い出したようにリュックを広げてレンズを取り出した。望遠のレンズに代えて、それから三脚を出しセットし始める。煙が目に入って痛い。消せばいいのに、私は焦るようにくわえ煙草のままそれらの作業をして、目を細めていた。
 案の定写真を撮り始めると、街ゆく人の視線が絡みつくようだった。中には声をかけてくるものもあった。「良く撮れるもんかい?」
「ええ、良く撮れますよ」
 私ははっきりとそう答えて、輝く街路樹の中を行く。
 何十台の観光バスがやってこようとも、ここを一人歩くのは私だけではないはずだ。
 底力見せろ、心の中でそっと呟いている。
 
  
 
 
 
 
 
 
 

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